【小説】探偵同盟 上
上 探偵同盟
「女優の熊谷麻美の死について話し合いましょう」
蝉時雨が降り注ぐ喫茶店の一角で附田菜摘は目の前に座る油川稔にそう言った。
「…それが今回のテーマですか」
「そうです。探偵同盟としては、今最も旬なこの話題を話し合うべきかと思いまして」
油川と附田は同じアパートに住んでおり、部屋は隣だ。附田の部屋に誤って油川がネットで注文した本が届いてしまい、同じ本を注文していた附田は宛先を確認せずに届いた荷物を開封してしまった。数時間後に附田が注文していた分の本が届いたことで、自分宛の荷物ではないことに気づき、油川の部屋へ謝罪に訪れたのだ。その本は有名推理小説家の最新作『探偵大連合』であり、その事がきっかけで互いに同じ小説家のファンであることやミステリー好きであることから2人は意気投合する。そして月に一度、近所にある喫茶店でミステリー小説の感想や実際に起きた事件の真相を推理し話し合う『探偵同盟』という時間を作ることにした。探偵同盟を始めて、半年。先月は附田の仕事の都合で開催できなかった。2か月ぶりの開催の今日、出された議題は先月急死した女優、熊田麻美についてだ。
熊田麻美はここ数年で頭角を現してきた女優だ。女優というよりはタレント活動がメインであり、あるバラエティ番組に出演した際に読書好きであることを公言し、その知識の深さから単なるキャラ付けではないことが世間にも認知され読書や本屋関係のイベントには必ずと言っていいほどキャスティングされるようになり『読書好き女優』のポジションを確立しつつあった。そしておよそ1年半前に自らが構想しているという小説の内容をSNSに投稿したことが話題となり、あっという間に作家デビューが決まり、出版された本も多くのメディアに取り上げられた。そんな順風満帆な人生を送っているように見えた彼女の死は日本中に衝撃を与え、今でもその話題は世間を賑わせている。
「しかし、熊谷さんが自殺したのでしょう。今更、僕たちが話題に挙げることでもないような」
「何を言うんですか、油川さん。自殺と見せかけた実は殺人だったという筋書きはミステリーでは王道中の王道ではないですか」
「それはそうですけど…。何だか人の死を肴にして盛り上がって良いものなのかと、罪悪感が」
「でも、これまでも探偵同盟では実際に起きた事件やニュースを取り上げてきたではないですか」
「それは…」
「しかも彼女の死には不可解な点がいくつもあるのですよ」
「不可解な点?」
「最も不可解なのは遺書が見つかっていないことです」
「遺書が見つからないから自殺ではない、というのは少々乱暴な推理では?」
「確かに。でも熊谷麻美はこれまでにSNSに投稿している内容から自己顕示欲が非常に強い人間と思われます。こう言っては彼女にも彼女の関係者に猛批判を受けるでしょうが、熊谷麻美は自殺する際には自らを悲劇のヒロインとして仕立て上げる可能性が非常に高い。そんな彼女が遺書を書かずに自殺するとは、私には考えられない」
附田の語り口に初めはこの話題を避けたがっていた油川も段々と前のめりで話を聞き始めている。
「成程…確かにそう考えると遺書が見つからないというのはオカシイですね。最も熊谷さんの人物像が附田さんの推理通りならですが」
「推理なんて所詮個人の妄想ですよ。ましてや私はただのミステリー好きなだけの女。物語に出てくる探偵のように自分の推理を人前で披露することもなければ、それに責任を負う必要もないので」
話が一段落した附田はアイスコーヒーで喉を潤した。
「油川さんは熊谷麻美の死について、あまり関心がないようですね」
咥えたストローから口を離し、附田は油川へ問いかける。彼女の口元から離れたストローはほんのり紅く染まっていた。
「関心も何も、僕には彼女が自殺したとしか思えません。仮に他殺だとしても女優ともなると理不尽な恨みを買うこともあるでしょうし、狂信的なファンの犯行という可能性も捨てきれない。推理をするには範囲が広すぎてどうにもなりませんよ」
「お勤めの出版社では、何か情報は入ってこないのですか」
「附田さんこそ、法律関係の仕事をしている立場として情報は入ってこないのですか」
「仕事の情報をプライベートで話す訳にはいきません」
「僕も同じですよ」
「それもそうですね」
2人は笑いあう。この会話の流れはお約束のようなものなのだ。
「しかし熊谷麻美が自殺をしたとして、動機は何なのでしょうね。女優としても順調。作家としても活動を始めていて、次回作の出版も決まっていたとも聞きますし」
「それこそ他人では計り知れませんよ。他人が定義する幸せが必ずしも本人にとっての幸せとは限りませんからね」
「成程…。金言ですね。油川さん、作家になれますよ」
「思っていないでしょう」
「そんな事ないですよ」
「いや、毎回そのセリフを言ってますからね」
「そうでした?だとしたら油川さんが毎回良いことを仰るからですよ」
カラカラと笑う附田の瞳は美しくも、どこか妖しい色を帯びている。
「まぁ、熊谷麻美は生きていても、作家活動は続けられなかったかもしれませんね」
「…何故、そう思うのですか」
「だって、彼女の作品『殺人探偵』は読書好きの女優が書いたミステリーとしては何とか読むことはできましたが、本業の作家に比べると所詮素人レベルですよ。それを世間が囃し立てるから彼女も自分には文才もあると勘違いしてしまったのでしょう。遅かれ早かれ筆を折ることになっていたかと」
「彼女の作品は、そんなに面白くなかったですか?」
「作風は好きでしたよ。面白いとも思いましたが、プロに比べると御粗末なところが多かったというだけの話です」
2人の会話はそこで止まった。喫茶店の名物でもある大きな時計が立てるボーンボーンという音と蝉時雨だけが響いた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?