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【短編小説】アビが鳴く

あらすじ

新野晴仁は教育機関で使用する端末を取り扱う会社に勤めている。広島県の小中学校へタブレット端末を提供する会社を決めるプレゼンを県の教育委員会へ行うため、広島へ出張した晴仁は広島の事業所の面々との仲を深め、プレゼンに備えていた。しかし、プレゼンが行われる数日前に広島事業所の所長のスキャンダル写真がSNSにアップされ教育委員会からの心象は悪くなった。
成果を出せず東京へ戻ることになった晴仁は帰る前に厳島神社が見える浜辺へ訪れた。そこで自らを神様と名乗る少女に出会う。
平和とは何かを問う、ポルノグラフィティの『アビが鳴く』のイメージノベル。


本編

銀色の宝石を散りばめたような海原に朱い大鳥居が鎮座し、取り囲む山々の緑がより一層、朱の色を鮮やかに映えさせている。新野晴仁は目の前の景色に神々しいという言葉を知識ではなく本能で理解させられた。
春仁の勤める会社はタブレットやパソコンを小中学校を始めとする教育現場へ提供している。国は教材のデジタル化を徐々に全国に拡げていくつもりであった。しかし新種のウイルスが世界を蝕み、教育現場へのタブレットやパソコンの提供は急務となった。広島県の小中学校で使用する端末を提供する会社に自社が選ばれるよう、東京の本社から春仁は出張してきた。競合会社も参加するプレゼン会までの間、広島の事業所の従業員と何度も打ち合わせをした。40代前半の所長は物腰は柔らかいが、教育に対する想いも熱く、自分の仕事に誇りを持っている。その想いの強さから春仁や他の従業員とぶつかることはあったが、それは互いを憎く思ってのぶつかり合いではない。所長の熱意にあてられ全員のやる気に火が点いただけのことだ。仕事の終わりには、いつもオススメのお好み焼き屋で皆で飲んだ。
 プレゼン会の数日前。所長が風俗店から出てくる写真がSNSにアップされた。所長は独身だ。会社の金を使ってその店に行った訳でもない。軽口を叩き合うが、セクハラの類は一切行っておらず女性社員からも慕われている。そんな男性が自分の収入で風俗店に行くことは何の罪もないはずだ。しかし教育委員会への印象は頗る悪かった。結果、広島県の小中学校への教育用の端末を提供するのは競合の会社の役割となった。
このタイミングで所長のスキャンダルが出た。誰しも競合会社の陰謀を疑った。真実を暴こうと躍起になった春仁を始めとした従業員を宥めたのは他ならぬ所長だった。今回の責任は全て自分の詰めの甘さにあった。皆にも恥をかかせてすまないと所長は頭すら下げた。送別会が開かれ、春仁の広島での仕事は終わった。東京へ戻る前に世界的に有名な厳島へとやってきたのだ。
あの大鳥居をくぐれば、本当に神の国があるのだろうか。あるとしたら、今すぐ神様に会い、今回起きた全ての理不尽な出来事を無かったことにして欲しいと願った。

「私は神様だ」
 信心も碌にないのに神様へ祈ろうと考えていたのがいけなかったのだろうか。晴仁は自ら神と名乗る少女と相対している。ここ最近はツイていないことが起こったが、何故自分はこのような素っ頓狂な状況に巻き込まれているのか。何も悪いことはしていないのにと思ったが、特段良い行いもしていなかったなと現実逃避がてら、晴仁はそんな考えで頭を満たしていた。
「えっと…君はこの辺りの子かな?家族の人は?」
「ん?家族ならあそこにいるぞ」
 彼女は水上に浮かぶ神殿を指さした。成程、どうやらあくまで彼女は神様ごっこを続けるつもりらしい。
「あぁ…そうなんだ。お家が海の近くでいいね」
「まぁな!」
 掛け値なしに太陽のように輝く笑顔とからっとした爽やかに響く声に自然と笑顔が零れた。笑顔の子どもは確かに神に近い存在なのかもしれない。
「それはそうと、お主。何やら悩みを抱えているようだな」
「…何でそう思うの?」
「神様だからな!」
 実際に晴仁の心は不安や怒り、そんなモノが澱となって濁っている。ここに来たのも綺麗な景色でも見れば、心から濁りが濾過され透明になるかもしれないという空想からだ。自称神様の女の子にもわかるぐらいに顔に出ているらしい。
「こうして出逢ったのも何かの縁。私に話してみるがよい」
「…そこは神のお導きとかじゃないんだ」
顔に水の冷たさが貼りついた。口に入った滴る液体は塩辛い。いつの間にか少女が波打ち際に立ち、海水を春仁の顔にかけたのだ。
「神様をバカにした天罰だ」
 そう言った少女の顔は神ではなく、いたずら好きの妖精のようだった。

 波打ち際で水をかけあう。ひと昔前の恋愛ドラマや少女漫画で使われそうなシチュエーションをまさかこの齢になって、初対面の少女と実演することになるとは。春仁は自らの行いに羞恥心を感じていた。
「どうだ?少しはスッキリしたか?」
 自称神様の少女は呵々と声を上げる。どう見ても彼女の方がスッキリした顔をしている。
「そうだね」
 唯々、無邪気に時間を楽しんだ。最後にこんな時間を過ごしたのはいつだっただろう。
 春仁は砂浜に腰を下ろす。服が砂まみれになるだろうが、そんな事は気にならないぐらい気持ちは晴れやかだった。空を仰いだ。鳥が一羽飛んでいる。
「アレは確か…」
「アビ」
 隣に立つ少女が呟いた。
 アビはこの辺りではイカリ鳥という。北極あるいは大陸の北方に夏繁殖し、冬南下する渡り鳥である。そのころになると日本全国の海上にあらわれるが瀬戸内海にはことに多い。数万羽のアビが渡来しアビに追われて潜入するイカナゴを好餌として群集するタイやスズキを釣るイカリあじろという漁法はアビの群游する所をかこんで、数十隻の漁舟が円を描いて乗り回す。その様子はアビ渡来群游海面と呼ばれ広島県の文化財となっているが、今となっては見ることはできないと飲み屋で知り合った漁師が言っていたことを晴仁は思い出していた。
「そう。アビ。確かこの辺りではイカリ鳥って言うんだっけ」
「…詳しいね」
「そうかな。ちょっと興味があって調べただけだよ」
 しばし2人で空を舞うように飛ぶアビを眺めていた。彼らはまた季節が廻れば遠くの地へと飛び立ってしまうのだろう。
「…アビみたいな渡り鳥は争いのない世界を知っているのかな」
 晴仁はふと思ったことを言葉にして零した。自分の知る世界はあまりにも狭い。翼があるとは言え自分の体一つで違う世界へ旅立てるあの鳥を晴仁は羨ましく思った。
「争いのない世界なんて存在しないよ」
凛とした声が響き渡る。そういった少女の瞳はどこか諦念に染まっていた。先ほどまで無邪気にはしゃいでいたとは思えないほど大人びて見えた。
「初めは渡り鳥みたいに空を通して世界を結べたら、たくさんの人が幸せになれると思って人は飛行機を作ったかもしれないのにね」
今、自分たちが当たり前のようにいる場所からそう遠くない場所に人類史上初めて天から全てを地獄に変える兵器が落とされたのだ。その恐怖を知り語れる者も一人二人と去っていき、春仁の世代の人間からすれば、最早、物語の世界に近い出来事と化している。
「世の中はどんどん便利になっていくのに、その便利な物が不幸を呼ぶのかな」
「物が不幸を呼ぶことはないよ。いつだって人が物を不幸に使うだけ」
 確かにそうだ。例えば包丁は多くの料理を生みだすが、人を殺める凶器にもなる。
「まぁ感情が無くなれば争いはなくなるかもね」
 少女は微笑みそう言った。
詰まるところ、争いは感情と感情のぶつかり合いだ。現実はお伽噺のように正義の象徴と悪の象徴とが戦っているのではない。寧ろ互いの正義と正義のぶつかり合い。あるいは己の利益だけを得たい思いから起こるものなのだろう。
「…それは悲しすぎるよ」
 春仁は噛みしめるように言った。
「でも、争いは嫌でしょう?」
「嫌だよ。確かに感情がある限り誰かを恨んだり、蹴落としたくなることは無くならない。でも、それ以上に誰かを好きになったり、助け合ったり、幸せを願ったり…。そんな感情があったから人は平和も築けたんじゃないかな。だから例え争いが無くならないとしても、人から感情をなくしちゃいけないと思う。戦争が平和をもたらすことは絶対に無いけど、戦争がないから必ずしも全人類が平和になれる訳ではないのかもしれない。それでも、世界がどんなに変わっても平和を祈る想いがある限り、決してこの世界は争いだけに染まることはないんじゃないかな」
春仁は自分の眼と少女の眼を直線で結びはっきりと想いを伝えた。
しばし静寂が二人の世界を支配する。アビの鳴き声が聞こえた時、少女は口を開いた。
「綺麗事だね」
「綺麗事だね」
 少女の言葉を春仁は鸚鵡返しする。
 平和や夢を追いかける人生に多くの人が憧れているはずなのに、それは綺麗事や理想論と揶揄される。
 春仁自身も今回の出張で決して世界は助け合いや正々堂々が通じないと理解した。
「綺麗事だけど…私は貴方にはずっとその想いを持っていて欲しい」
「ありがとう。頑張るよ」
 自分ひとりが世界を平和にできるなど大仰な事は思わない。世界平和の為に具体的に何をするかも決めていない。けれど目の前にいる少女のような子ども達が笑って暮らせるような生活を守れるような、百年先に生まれる子どもたちにも平和を祈る想いを灯し続けられるような、そんな人間になろうと春仁は決心した。
「じゃあ、約束」
 少女は小指を春仁に差し出した。その小指に春仁も自分の小指を結ばせる。
「じゃあ私はそろそろ帰るね。辛いことがあったら、またここにおいで。神様が悩める者を救ってあげよう」
「うん。ありがとう。気をつけてね…って、そっちは海…」
 夢を見ているのだろうか。晴仁の目に映る光景。先ほどまで話していた少女の背中から翼が現れた。
 強く暖かい風が吹く。それは今、飛び立ったアビが起こしたものかもしれない。
 足元に寄って返す海の冷たさで晴仁はようやく自分がしばらく立ち尽くしていた事に気が付いた。
「…また来るね」
 その小さな声に応えるかのようにアビの鳴く声が響き渡った。


#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門


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