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観察、観察、とにかく観察

こんばんは。
佐野太基です。

今回は『武道の稽古においてはどのような心掛けが必要か
ボクなりの見解を話そうと思います。


一眼二足三胆四力

武術関連の文献を紐解くうちに、
一眼二足三胆四力という
心に来る言葉を知りました。

この言葉の意味は、

運足や胆力(度胸)、技の威力よりも先に、まず「目付け」が真っ先に重要視されるのです。

『そこが知りたい武術のシクミ』 長野峻也

タイトルの「観察、観察、とにかく観察」は一眼二足三胆四力を老若男女、武術に知らない人に対しボクなりに伝わるようにした言葉です。

この言葉こそ、武術の稽古において必要な心掛けです!


戦術としての手段の1つ

何故、ボクがそのように思ったのか。
その理由を話すにあたって、まずはボクが「武術というモノをどう解釈しているのか」というところから話をさせてください。

まず、ボクが普段稽古をしているのは、新陰流という流派の武道です。
主に剣術や居合を行っています。

剣術の技や居合の型とは敵と戦うための戦術の手段の1つであり、戦いにおいて重要なのは、技の手順や武器の形状ではなく、敵の心理を読み、放つであろう攻撃を予測した上で技や武器をどのように用いて迎撃し、敵の出端をくじくことができるのかということ。

いくら力があっても、相手に見切られたら攻撃は当たらないし、自分の見切りが不十分であったり、甘ければ力に劣る相手にもあっさり懐に入られて迎撃できずに、やられてしまいます。
その為には相手との間合い、相手の動きや体格の観察が必要です。


現代の剣術稽古における“観察“の重要性

戦うための手段の1つとは申し上げましたが、現代に於いては刀を使って誰かと戦うことはありません。
他の流派は知りませんが、少なくとも新陰流では試合形式で剣を交えることはありません。
では、観察は必要ないのかと言うとそんな事はありません。
普段は、古来より伝わる剣術の技を使太刀打太刀に分かれて稽古をします。(使太刀は時代劇というところの斬る方、打太刀は斬られる方だと思ってください)

普段の稽古で多いのは、使太刀役も打太刀役も技の手順を守ることに固執しすぎて、技の本質を発揮できていないということ。

例えば、一刀両段という技があります。詳細は省きますが、使太刀役が自分の肩を打太刀役に差し出すことで打太刀役は使太刀役の肩を狙う。使太刀役は打太刀役が自分の肩を狙ってきたところを体捌きでかわして迎撃し打太刀役の拳を打つ(斬る)という技なのですが、
打太刀役は自分がやる技の手順を守ることに固執し、間合いを測り損ね、使太刀役の肩に届かないところで刀を振り下ろします。
コレでは使太刀役の刀は打太刀役の拳に届かず、互いの剣先だけがぶつかり合う形になり、決着がつかずに相手に反撃の隙を与えてしまいます。
一方、使太刀役も同じように技の手順を守ることに固執し、自分の肩を早く引きすぎて、結果、開いた状態の体を相手に晒すことになります。当然ですが体が相手に向かって開いていれば、それだけ相手にとっては狙える的が大きく広くなったのですから、攻撃し放題です。

特に打太刀役は使太刀役が正しく技を発揮できるように導くことが役目であるのに、手順だけを守ろうとして相手との間合いを測り損ねると、その役目を果たせない。
故に相手が技を正しく発揮できるように、相手の力量や間合いを観察によって見抜くことが重要になるのです。


相手を通して自分を見つめる。

剣術、居合に関わらず師範、稽古生、そして自分の動きを漏らさず観察することも大切です。

最近、入門された稽古生で居合の型で刀を握る手が左手が上になっていたり、出すべき足が逆になっていたり、納刀の時に鞘を不要に動かしていました。

その方はまだ緊張などで師範の動きや言葉を見聞する余裕はないのかもしれません。その気持ちはよ~くわかります。

この点で言いたいのは、初心者の方の観察力が足りないという話ではありません。

稽古時、稽古生の前に立っていた師範が持っていたのは袋竹刀。その初心者の方の目の前で居合刀を持って型をやっていたのはボクでした。
袋竹刀を持っていようと、木刀を持っていようと師範の型が一番参考になるのは当たり前です。
しかし、その方が刀の握りや足捌き、鞘の構え方を間違えたしまったのは、目の前にいた居合刀を持った自分がお手本になるような領域に達していなかったのではないのか?という疑問にぶち当たりました。

初心者が型の手順や体捌きを間違えたり、まだできないのは当然のことです。

一方、その方より長く新陰流の稽古している自分はどうか?
心の何処かで「自分の型は完成されたもの」という驕りがあったのではないのか?
同じ稽古生の動きを観察することで、自分の修練を見直すきっかけになりました。
なので、稽古では師範の動きや言葉だけではなく、同じ稽古生、そして己を観察する広い視野が必要なのです。

観察すること=視ること、読むこと、推測すること
これらは武道だけではなく、あらゆる事象に当てはまる大切なことなのかもしれません。

今宵はここまで!
佐野太基でした。


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