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個性ってどれだけ非合理を愛せるかだよなぁ

「個性」ってなんだろう、と最近よく考える。このひどく漠然とした、しかし誰もが考えたことのある問いに、自分なりの一つの答えが出た気がするので報告を。

タイトルにもある通り、個性の強さは非合理の強さでもあると思う。私たち日本人にとって、「普通の人」を思い浮かべてほしいと言われたとき、思い浮かべる像はだいたい似通ったものになるだろう。その日本人の根底にインプットされている「普通の人」像から、どれだけ逸脱しているかこそが個性の強い人というわけだ。「普通の人=合理的な人」という等式が広く受け入れられているという前提で話していこう。

では、日本人男子大学生の「普通の人=合理的な人」とはどんな人だろう。身長172cm体重65kg、服はほぼユニクロ、酒はサークルの集まりで月一、タバコやギャンブルはやらない、自分から強く主張することはなく、他人の意見を受け入れることがうまい、SNSはあまり更新しないが友達の更新はしっかりチェックしている、単位は友達と協力しつつも一つ二つ落とす、なにか行動する時はまずネットのキュレーションサイトや誰かの書いたブログをじっくり読む、聴く音楽は流行りのJ-pop、といった特徴が挙げられる。さて、個性的と言われる人は、この特徴とはまったく逆ではないか。先鋭的なデザインの服を着ていたり、毎日のように酒を飲んで潰れている様子をSNSにアップしたり、単位を落としまくり卒業が危うかったり、後先考えずに行動し、なにかトラブルに遭っていたり。一つの分野に特化している人も、多くの要素を重ね持っている人もおり、その個性の強さ=非合理は様々である。

私は、人間誰しも持っているものは同じで、そこから環境や性格、得意分野や好きなことを鑑みた上で、各々の非合理的選択により、個性を伸ばしているのだと思う。合理的な選択をしていたら、健康に害があると分かっているタバコは吸わないはずだし、無駄な衝動買いはしないはずだろう。だが人間は、それらを自ら選んで行動する。そこに、「個性」と呼ばれるものが生まれてくるのだろう。僕の個人的な意見としては、生活の全てで合理的な選択をしてそれ以外の一切の無駄を受け入れない人(という人がいたと仮定して)よりかは、仮に他人に受け入れられなくとも、自分の選んだ行動をしている人(たとえそれが無駄なことであろうとも)のほうが魅力的に感じるし、話も聞いてて面白いと思う。

この世界は、人それぞれにとっての「合理的な無駄」の集合でできているものだなぁと、強く感じています。

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