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【地中海の北縁の旅と生活】第3章 サラエボ生活3年記④

【地中海の北縁の旅と生活】第3章 サラエボ生活3年記④
《異感慨深い国の地での日本語、カフェで過ごした至極の時》
 
 引越し荷物の搬出を終えてサラエボ3年間の感慨に浸る。8月のある日、土曜昼から我が家にボスニア関連の人々が集まった。版画アーティストのタイダ&スティーブン夫妻、画家で日本を描くムハ&ラリッサ夫妻、そしてボスニアと行き来する元大使館員の家村ゆかり、日本語講師の折原まゆ、上智大大学院生、日本語講座のボスニア人生徒達、家のカミサマの後任の熊倉氏などだ。この場にボスニア北部の町バニヤ・ルカに住むジエキチ美穂がいれば完璧だったが。
 
 実はタイダ夫妻とは1週間前の午後語らい、その後地下のスーパーで偶然フライパンを買いに来ていたムハと遭遇した。皆に呼び掛けたらボスニアと日本に縁のある人々が集まった。飲み物とお菓子だけのミニパーティーだが、よくぞ集まったなあと感慨深い。家カミサマは日本語講座を拡大し、ボスニア日本大使館の日本語検定を始めた。
 様々に異なる文化、個人志向より異なるが、ボスニア人が日本に関心を持つ人々が増え始めた。ただ日本語が分からないと何も始まらない、私は片言の日本語が話せるタイダと知り合い、仲間になっていったが、私はボスニア語を覚えることを放棄してしまった。今度のマルセイユではフランス語をやらなければならないだろうが、まだ勉学が必要とは人生は楽では無い。
 
 昼間は自宅で原稿を書きながら猫と過ごし、空と緑を眺めながらの独りの時である。意外に喧騒の街中でのカフェで、一人エスプレッソを飲む時間が私の唯一の安らぎとなっていた。
 旧ユーゴスラビアから内戦を経て独立した3つの共和国で構成される「ボスニア&ヘルツェゴビナ」、ここにはセルビア系、クロアチア系、ボスニアンと呼ばれるイスラム系の人々が混在して生活している。皆、カフェでのおしゃべり好きだ。
 大きなリュック一杯の買い出し物などを背負って帰る時、WiHiが通じ、パスワードを教えてくれるカフェでWebサイトをチェックする。同時に若きボスニア美女たちの鑑賞の場でもあるが、この美女たちは20代後半には大きなお尻と太い腕と足を抱えるようになる。
 
 馴染のカフェでは2KM=約60円を払い、「ごちそうさま」と言えば、返ってくる言葉は「ありがとう」でなく、「HVALA・チャオ・サンキュー」だ。<ホテルボスニア>のティールームは椅子もゆったり、静かで落ち着着いている。馴染<カフェ・エナジー>では、ある時店主が一杯のエスプレッソをご馳走してくれた。BBIセンターの地下のスーパー<コンズム>の1階のカフェに立ち寄ると、ウィンクしながら黙ってエスプレッソを出してくるお兄ちゃんもいた。
 
 我が友人のジェキチ 美穂は通訳やガイドをしているが、こんな話をしてくれた。『仕事でボスニアホテルに関わった事があります。カフェ部分のリフォームが話題に上り「若者にうけるような内装にしたらどうか」という話が出たところ、ホテル関係者から「若者以外の年代にも居場所が必要なのだよ」といった返事が返って来てハッとしたのを今でも鮮明に覚えています。』
 

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