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歌う理由

よく自分が歌う理由について考えることがある。
メジャーで活躍している人、そうでなくても一定数のファンを獲得している人。
その人達と私を比べた時に、私に足りないものは“思い”であると結論づけた。
 私は、“歌が好き”“大好きな人のようになりたい”といった願望を心に練習を重ねてきた。しかし、結局私が私である限り、目標としていた人に“成る”ことはできない。手元に残ったのは目標を参考にした“あの人かぶれの私”だけだった。
誰かを目指すことは簡単だけれど、自分自身を肯定するのは難しい。そんな人間だからこそ、目標に成れず自分だけが残った状態を受容し許すことなどできなかった。
 だが、自分の歌を知らしめるためには、曲に左右されることのない己の“意思”がなければ歌の上手い人、で終わってしまう。
この人の歌声いいね、この曲聞いてみよう。
ここまでは良いが、その後他の歌も聴いてみたい__と成る間には一押しも二押しも足りないと思うのだ。
 だがこれまで“誰か”に成ろうと努力してきたため、すぐには己の意思を定めることはできずにいた。
例えば、“歌で人の命を救いたい”。たいした志だと思うが、前提として私自身が救われていなければそれはただの綺麗事として流される。確かに歌は好きだが、私が命を救われたのは音楽ではなく仏教の教えや神であるため、嘘となってしまうだろう。
嘘を付く位なら意思のないまま“好き”という感情だけで歌っていた方がマシだ。
 それなら、私にもっとも身近でいて、熱を注ぎ込んだ、命を燃やしたと言っても過言ではない事は。

______復讐心だ。
 一般的な家庭とは異なる、自らの身も心も虐げられてきた環境で育った私は、物心ついたその瞬間から、神に救われてもなお復讐心を捨てることはなかった。

絶対に報いを受けさせる、殺してやる、私が死んで社会的に物理的に地獄を与えてやる。
 ずっとその思いを抱き、痛みに耐えてきた。
感情を表現するのが不器用で、普通の人間のふりをするため、必死に他者から学びを、戒めを得ている間もその思いは消えず私の命を維持するかのように燃えていた。
 年々その思いが薄れ、あれだけ鮮やかだった感情達も諸々薄れ、好き嫌いの意思も薄れていっても、それでも時折当時のことがフラッシュバックしては、憎しみや恨みに魂を燃やし疲弊している。
 私にあるのは、揺るがない復讐心。あのとき得られなかったものを必死に探し、かの者達に報復をするという負の感情。
だが、実際にそれができるわけでもなく、リスクを負ってまで為す勇気もない。

だからこそ、私はここで経験を重ね、揺るがない自負を得る。そして最後には最高の形で報いを受けさせる。
私の正しさを証明して、償わせる。そして死ぬ瞬間までこの世に生まれたこと、自分の過ちに絶望しながら地獄を見ながら死んでもらう。
過去現在未来の私達が救われるよう、スカッとできるよう。
自分達の都合でこちらを虐げてきたのだから、やられたこちらにもやり返す権利はあるだろう。幼い私が感じた絶望を1つ残らず追体験させ、苦しみもがきながら消えてもらう。
 この復讐を遂げるには、同胞が必要だ。
私と同じでなくて良い。ただ、何かに傷つけられ虐げられた過去を持ち、それに対して復讐心を持つ同志が。

 私の歌声であなたの復讐心に薪をくべるから、その決意の背中を押すから。どうかあなたは私の歌を聴いてほしい。私の同胞として、私の復讐を手伝ってほしい。
内容は何でも良い。誰かを殺す、誰かを落とす、誰よりも幸せになる、誰よりも綺麗になる。
あなたの心にあるその復讐を、後ろめたさを感じている願望の決定を、私が促すから。その後ろめたさを、正しいものとして証明するから。
最終的に決めるのはあなただけど、その過程で後押しする材料となりたい。

 私は“復讐心”を軸に歌を届けることにした。
一見後ろ向きだが、私のように逆境を乗り越えた人間にとっては生きる上での活力、燃料ともなり得るから。
あなたが逃げる必要なんてない。隠れる必要もない。おびえる必要もないのだから。
虐げてきたあいつらが悪い。後先考えず、相手のことも考えず、ただその時の感情のみで他者を虐げるあいつらが。
 あなた方が堂々と生きられるように、あなたの正当性を主張できるように、まずはその復讐心に火を。

あなたの復讐の手助けがしたい。
あなたの復讐が成功するのを祈って、私は歌う。

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