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原体験・その1

人は強い原体験を1つまたはいくつも持っていると思います。
今の私をつくりだした原体験を1つづつ振り返ることで
今の私が大事にしているもの、影響を受けていること(good/bad)
を見つめます。
それを認知した先に、これからも大事にしたいこと
自分のパーパスが見つかり確固たるものになると思うからです。

自分のパーパスはあるのだけれど
あるつもりになっているような気するから

まずは原体験その1:幼少期の五感


 北国の田舎で少した幼少期は早寝早起き(20時就寝6時起床)、外遊びばかりの泣き虫な子でした。母親の薄味かつ添加物を極力排除した食生活。
発砲剤の入らない歯磨き粉。当時は珍しかったはずである海外から取り寄せたパウンドケーキ。ニュースはNHK以外見ない。
 それでもこの頃の生活スタイルは大人になって私の基礎を成していると思う。朝のニュースはNHKしか見ない家庭だったため、社会人になり一人暮らしをして好き放題民放の朝の情報番組を食い入るように見ていたし楽しかったが、いまはやはりNHKを見たいと思ってしまう。
 自分で選べるようになる食べ物も、結局は薄味でできるだけ余計なものが入っていないものを好む。早く寝ないと体がもたないし(40代になってからなおさら)。
 子供のころの衣食住トータルの生活は、血となり肉となり私を作りだしたのだ。変えようと一時的に変えて、落ち着くところが子供のころと同じ。五感が覚えているのだろうか。心地よかったからそこに戻るのだろうか。逆だったら?
 先ほど血となり肉となり、、と書いたが、それだと自分が何かに縛られているようだ。世の中にいろいろな選択肢があることを知り、経験した後でさえ、自らの選択を子供ころと同じ領域あるいは粒度を好んでいるのであれば、結果的には縛られているとか血となり肉となりではなく、「自分の選択」なのかもしれない。
 小さいことの自分がもちろんスタートだけれど、最終的に、いま選んでいるのは私。

幼少期の五感を通して得たものは自分のスタート(親が与えた環境でも)
でも今の自分が選んでいるのは今の自分

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