なぞ

”友達”について考える

こんにちは、ヒカルヒカです。

突然ですが、皆さんは何人くらい「友達」がいますか? 出会いのキッカケはなんでもいいです。幼馴染でも、学生時代の仲間でも、同僚でも、ネット経由で知り合った人でも。ただあなたが「友達だ」と思えればそれでいいです。

この質問に困る人、少なからずいるかと思います。私は困ります。まず「友達」って何なんでしょう。考えれば考えるほど分からなくなるので、少し整理したいと思い今回の記事を書き始めました。少しお付き合いいただけると幸いです。

①「友達」の線引き

まず、「友達」ということばは次のように定義されています。

互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。

(デジタル大辞泉より)

ここでポイントだと思うのは「互いに」という点。当たり前ですが、友情関係は一方通行では成り立ちません。

ここで私はいつも次のように考えてしまいます。

①私はAさんのことを友人だと思える

②しかし、Aさんは私のことを友人だと思っていないかもしれない

③結果、「私とAさんは友達だ」と言うことに抵抗がある

これは私とAさんの間柄がそこまで深くない場合です。たとえば、「学業や仕事でグループ活動をすることになり、少なからず接点を持つことになった」場合や、「サークル等の同期で、共通の知り合いも多く話す事も多い」場合など。つまり、私とAさんの間に直接的な何かがあるわけじゃないけれど他人とまでは言えないというシチュエーション。私はこの関係性を「友達」にカウントできませんが、「友達じゃない」と言い切るのは違うなあと思ってしまいます。

恐らく、このシチュエーションはAさんも私のことを本当の意味では「友達」にカウントしていないと思いますが、すごーく大雑把に人間関係をくくるとすれば「友人」になるのではないかと推測します。

これを読んでいる皆さんは、この状況の関係を何と表しますか?「友達」にカウントしますか?

②SNS上の「友だち」

昨今、SNSはもはやなくてはならない存在になっています。Twitter、Instagram、Facebookなどなど。みなさんも何かしらは利用したことがあるでしょう。

TwitterやInstagramでは「フォロー・フォロワー」という表現が使われていますが、リア垢(リアルアカウント、現実世界での知り合いと繋がる用のアカウント)においてフォロー・フォロワーは「友だち」と認識できます。というのも、「このアカウントは知り合いだけ」と決めて鍵アカウント(投稿非公開)にし、誰か分かる人以外はフォロー許可をしない、としている人が多いからです。また、Facebookではあからさまに「友だち」という単語が使われていますね。

SNSだと、①で述べた「友だちの線引き」がすごく曖昧になるように思います。多くの人が「話したことはほとんどないけれど名前は知っている」「10年くらい会ってないし連絡すら取っていないけれど小学校が一緒だった」のようにリアルだと「友達」とは言えないような相手にもフォロー申請を送ったりしています。私もInstagramのリア垢でつながっている4~5割程度は、たとえ街中で見かけても話しかけないだろうなという人です。

名前と顔と、そのほか数点の情報しか知らないのに、その人の日常については投稿やストーリーで見せられている。とても奇妙だなあと思います。まあ実際のところ、親しくない人のストーリーやらは飛ばしてしまうのですが。

余談ではありますが、最近Instagramに追加された”親しい友達”機能(”親しい友達”に追加した人にのみ公開することができる。追加したことは相手に通知されない)。私はこれが嫌いです。機能云々じゃなくて名前の問題ですが。なんか、もう少しあったじゃん違う言い方が!?と思ってしまいます。”親しい友達”向けに公開されたストーリーだと、色が変わって表示されるので一発で分かるんですよね。「あ、この人は私を追加したんだな」って。だから、別に仲良くない人に追加されてたりすると「何で!?!?!?」となってしまいます。

「何で?」と思われたくもないので私は一人も追加していません。

一つ補足すると、以前友人が「バイト先の客にインスタをフォローされて困っている。角が立つからブロックはできない」と嘆いていたこともあったので、そういう人には良い機能だとは思います。

③年齢と共に難しくなる「友達」

幼稚園・小学校の頃を思い出してみると、同年代の知り合いはみんな「友達」というくくりに入れていた気がします。同じクラスの友達、習い事の友達、休み時間に一緒にドッチボールした友達などなど。「この子は友達と呼んでいいのかな?」と悩んだ記憶はあまりないです。

それが中学に上がると、「先輩・後輩」というくくりがはっきりしてきます。私が通っていたのは地元の公立中学で、部活の一個上がいわゆる「先輩風」をふかしたい人たちだったのでそのくくりは顕著でした。「先輩・後輩」と「友達」はイコールではありません。もちろん、学年が違う友達もいましたが、その人たちは部活・委員会などの所属かぶりがなかったから友達だったのだと思います。

そしてバイトをするようになると「バイトの先輩」に加え「バイトの同期」というくくりも出てきました。飲みに行ったりはするけれど、バイトしか接点がないから友達と呼ぶには何か違うという感じです。私はまだ就職していないので分からないですが、職場の関係も似たようなものではないでしょうか?

あとは趣味で繋がった人たち。ツイッターをきっかけにリアルでも会うようになった人が何人もいます。私個人的には「友達」と呼んで差し支えないレベルまで仲良くなった子も数人いますが、「たまに会う・ツイッター上でも話すフォロワー」というくくりどまりの人ももちろんいます。ここの線引きは個人差が大きいと思うので難しいですね。

あとは想像になりますが、「ママ友・パパ友」なんかも「友達」とはまた別枠なのではないでしょうか。

つまり、歳をとるにつれて自分の所属が増え、単純に「友達」と呼べるようになる機会がどんどん減っていくのではないかということです。

まとめ

ここで冒頭に戻ると、私が素直に友達だと思える人は恐らく一桁です。他にも仲良くしてくださる人はいますが、「高校時代の部活の後輩」「バイトの先輩」「フォロワー」などといったようにその人を私の中で分類するカテゴリが最初に出てきてしまい、「友達」と呼べません。

なかなか面倒くさい考え方をしているなとは思います。

みなさんは「友達」についてどう考えていますか? 教えて頂けたら幸いです。

では。

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