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正真正銘のオジサンだ

去年の春、日本人の女の子と、ジュリアと3人でご飯を食べに行った。ジュリアは、小柄で内弁慶、胸元にイタリア語で「流れるままに」という意味のタトゥーを彫っている。仲が良いイタリア人の留学生だ。

大学には日本人が少ない。僕は、演劇学部で唯一の日本人だ。その日本人の女の子は学部生では初めて出会った日本人だった。大学院には「日本人会」なるものが結成されているくらいの人数が居るから、高校を卒業してから学部生として留学する日本人の数が少ないのだろうか。ちなみにその子は、芸術学部の学生。ジュリアと同じ寮の共用スペースで知り合ったらしく、同じく日本人の僕を紹介してくれた。19歳。11も離れた同級生だ。

その日は、ウォータールーという駅で集合した。この辺りは、アートが根付いているエリアなのでギャラリーや劇場が沢山あり、最近は再開発が進んでいて、真新しいビルが建っていたりする。テムズ河に沿って並んでいるカフェやレストランはいつも大賑わいで、晴れた日には大道芸人やミュージシャンが、道ゆく人を楽しませている。

初めて会ったその子は、ジュリアよりも少し背が高く、一言一句聞き逃すまいぞ、とでも言うような目つきで相手の顔を見る子で、しかしどこか内気だった。その子がフィッシュ&チップスを食べたいと言ったので、目に付いたレストランに入って、フィッシュ&チップスと、チーズとハムの盛り合わせだとか、サラダだとかを適当に頼んで、僕は昼間からビールを、二人は紫色の甘いお酒を飲んでいた。それから、彼女の高校時代の話だとか、どうして留学する事に決めたのかだとかそんな話を聞きながら、僕は、何となく、この子はしばらくしたら大学を辞めるんじゃ無いか、と思っていた。そして、僕がこんな事を言ったら「お前みたいな虫ケラが偉そうな事を!隅っこのホコリでも食ってな!」と思われるかもしれないが、僕は、彼女の気持ちが楽になるような事を何か伝えてあげられないか、なんて思っていた。

彼女からすれば、僕なんか正真正銘のオジサンだ。その日の話の流れで出て来た『流行りの歌手』の例えが、西野カナとかだったくらいだ。そんなヤツに説教じみた事を言われたい人は居ないとは分かりつつも、その期に及んで僕は、「僕も大学を辞めたから、君の気持ち分かるよ。」なんて言うのも何だか白々しいな、だとか、初対面のクセに分かったようなクチを聞いちゃダメだよな、だとか思いながら、ちょうど良い言葉を探していた。しかし、雑談力の低さに定評のある僕が、その場で最適解を見つけられるハズもなく、結局その日、僕は何も言わなかった。そもそもこういう状況で何かを言いたいってのは、十中八九、相手の為ではなく、自分の為だ。だから、何も言おうとしなくて良かったのだろう、と思っている。

しばらくして、「日本人会」に彼女を誘ってみたが、日程を確認すると言われたっきり返信は貰えなかった。そして後日、ジュリアから、そういえばあの子が大学を辞めたと聞かされた。授業の休み時間だった。その授業で僕は「舞台セット」を、彼女は「衣装デザイン」を選択していたのだが、その話を聞かされていた時の僕は、ペンキで真っ黒に汚れた服を着ながら、枯葉がパンパンに詰まったゴミ袋を両手一杯に抱えていて、彼女はトナカイとキツネのお面を持っていた。


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