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緩やかな差別は、いつだってアンイージー

ふらりと入ったレストランやカフェ、あるいは本屋などで「コンニィチハ!」とか「オゲンキデスカッ?」とか、唐突に日本語で話し掛けられる事がある。何を基準に判断しているのかは不明だが、僕は典型的な日本人顔だし、アクセントだとか、服装だとかで分かるのだろう。大体そういう人たちは、日本のアニメが好きだとか、旅行で日本に行った事があるとかで、差別意識を感じる事は無いので無害だ。デリカシーの無い人だ、きっと仕事も出来ないだろう、と思うくらいだ。
 
そしてつまり、日本人と決め付けられるのと同じくらいの頻度で、別の国の人と決め付けられる事がある。経験上、最も多いのは中国人に決めつけられるパターンだ。事実なんだから仕方ない。いきなり中国語で話し掛けられ、「日本人です。」と答えると、向こうはハッ!としてから軽く謝って、それからは何もなかったかのように話が進んで、それで終わり。無邪気な偏見である。ここにきて厄介なのは、無邪気な偏見を装った緩やかな差別である。
 
去年の春、必要な書類を貰う為、病院に行った。順番を待っている時、受付の女性スタッフに「いま、コロナで中国は大変でしょ?」と聞かれた。別に怒るでも無く「どこも大変でしょうね。僕は、日本人ですが。」と返したら、例の如くハッ!としてから謝られた。しかし、しばらくして同じ人に、「ご家族は中国にいるの?」と聞かれた。そこでようやく、僕を『意図的に』中国人と呼んでいる事に気が付いた。アジア人は、みんな同じだとでも言いたいのだろう。
 
こういう場面に出くわした時、即座に怒れる人もいるだろうが、僕はそうじゃない。そういう時に僕は、「メンド臭ぇ」と思うのだ。抗議した所でアイツの考えが変わることは無いだろうし変えたいとも思わないし、アイツは絶対友達居ないし、この後も寂しい人生を送りながら死んでいくんだろうし、前世は小石。と諦めてしまう。もちろん、酷いケースであれば自衛の為にも怒るのだろうが、とにかくその日は、さっさと帰りたかった。それに、さっきも言ったが、そういう奴らは、うっかり!とか、悪気は無かったんだ・・・とか、後から何とでも言い逃れが出来るように、巧妙に差別をしてくる。輪を掛けてメンド臭ぇのだ。
 
韓国出身の同級生はイギリスに長く住んでいるけれど、やはり似た思いをする事があるらしい。そんな話をしていたら、彼女が「アンイージー(uneasy)」という言葉を使った。辞書をみると「簡単じゃない、心配な」という意味だけれど、もう少し含みがあるように感じる。日本語で近い言葉は、「しんどい」とか「ダルい」とか、あるいはやっぱり「メンド臭ぇ」とかだろう。あれから妙に気に入って、別にこんな話じゃない時でも使っている。


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