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【現実を祭り上げない】思いの力

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この現実に見える現実は、現実じゃない。
鏡に映る世界と同じ、投影に過ぎない。




鏡に映る自分って、本物じゃないよね。
あくまでも投影であり、ただ映ってる状態。
本物は、そこに映ってないこの自分。
確かに感じる、この自分と言う存在。
本物は、鏡には映らない。



それをふまえると…


投影された現実は、本物じゃない。
この世界も人も、本物じゃない。
じゃあ本物ってどこにいるのか?



それは、この「自分」の「思い」こそが本物。


私はこんな人間だ、と言う「思い」
あの人はこんな人だ、と言う「思い」
現実はこんなもんだ、と言う「思い」
それがいつだって本物。
それが、いつだって映ってる。



自分が思ったことが、自分にとっての本物。
その「思い」がやがて投影し、この現実となってる。
投影されるのは、見えない次元でのこの「思い」



外側は、いつも本物じゃない。
内側の「思い」によって、コロコロ変わる投影に過ぎない。



本物は、投影されない。
確かに感じる、この「思い」こそが本物。
そうなるよね?
本物は、いつも、物質としては見えない。ここに感じる思い。想像。考え。


実際、本物であるこの自分を「確かに在る」って認めるのに、鏡は必要ないよね?
鏡に映さなくても、自分を確かに感じるはず。


誰かに「私ってここに居る?」って聞かなくても、鏡に自分を映さなくても、自分で「在る」ことがわかる。
ここに存在してることは、感覚でわかってる。

でもね、
現実創造する時はなぜかみんな、鏡に映して「確かに在る」を確認してるんだよ。
投影しないと「在る」と認めない。
鏡に映らないと「在る」とは認めない。


本物は、確かに感じるこの「思い」のはずなのに、投影したら、現実化したら「本物」として認めてる。



願いは叶った。もう既に在る。
そう「思った」ら、本来はそれで完了する。

でも、そうは思えない。それはなぜか?

それは、
見える現実と言う投影の中に形を探すから。
まだ、映らない。だから叶ってない。
映さなくても「在る」のにも関わらず、投影の中に「在る」を探し、まだ叶ってないと「思い」始める。


意識で「在る」と「思って」も、投影を見てそこにないから、ない!と「思う」
思いをすぐ変えてしまう。
願いの取り下げは、こうやって起こる。



こうなるのを防ぐには…

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