「底辺の仕事」の世界にいる「現場の神様」が絶滅する前に
こんにちは、ヒヅメです。
僕の中で「嫌なニュースと嫌な感情をプッシュしてくる装置」となりつつあるツイッターで最近目にしたのが「底辺の仕事」というワードなんですよ。
まあこういうニュースって「これも大切な仕事なのに底辺とは何事だ」とか「リスペクトが無い」みたいな感想が多く出ると思うんですけど、底辺の仕事の1つ「土木建設作業員」と身近に働いていた者としてはちょっと違う感想を持っちゃうんですよね。
それは…「とはいえ「底辺の仕事」のレベルの平均値ってめちゃくちゃ高くない?」ってことです。
「底辺の仕事」なんて言葉が飛び交うってことは、みんな「底辺の仕事」なんて就きたくないってことでしょう?それは昔からそうですよ。
子供の夢でゴミ収集スタッフがトップ10に入ることはそうそうないでしょうし、みんな将来の自分世代の介護を他人の子供に押し付けたいから子供の受験勉強を頑張っているわけでしょうし。
そんな感情の現実は置いておいて、日本の「底辺の仕事」のレベルの平均値は世界的にトップクラスなんじゃないかなあと僕は思っています。平均的な仕事の丁寧さやモラルの高さは、日本では気づきにくいと思いますが、アメリカのような格差の激しい社会に行くとびっくりしますよ。
町はずれのマックなんて行ったら受付で10分も放置された挙句「今忙しいの見て分かるでしょ?」って逆切れしてきますし、現場作業員は1から10まで命令しなきゃ一生仕事しませんし、ゴミ収集車はゴミをまき散らして回収します。そして何より彼らの住むエリアは僕らなんか到底住めないくらい治安が悪いです。
「底辺の仕事」が日本の仕事のボトムアップをしてくれている
前回のnoteで書いたんですけど、僕は建設現場でも働いてきて「現場の神様」と呼ばれる人たちの凄さを身をもって体験してきたんですよね。
彼らは土木建設作業員ですので、まごうことなき「底辺の仕事」に就く人々です。ただ、彼らの仕事の凄さは、設計のシステム自体に「現場フィードバック」を組み込むくらい設計側も期待しています。
日本は震度5程度の地震ならしょっちゅう発生していますが、その程度で倒壊する建物なんてほとんど無いじゃないですか?これってめちゃくちゃ凄いことですよ。細かいとこで言えば家の内装に壁紙なんていう施工難易度がバカ高い素材が当たり前に使われているって凄いことなんです。
こうした日本が培ってきた建設業の平均レベルの高さは、「底辺の仕事」従事者である現場の神様の声を設計が取り込める環境であり、給料も悪くはないことによって、現場の神様の働く尊厳が保たれているからだと思っています。(資本主義の悲しいところで元請に比べたら給料は低いんですが…)。彼らは「俺がやるからには下手な仕事はできない」という素晴らしいモラルを持っています。
こうした「設計(エリート)と現場(「底辺の仕事」)がある程度良い関係でいること」に必要な要素は、「お金」と「意見が吸い上げられるシステム」だと僕は思っています。
逆に言うとこれが出来ないと「底辺の仕事」の質は低下して、設計と現場の分断は進む一方だとも思います。
呼び方はともかく待遇は見直さないと「底辺の仕事」のレベルの維持は不可能
実際問題「レベルの平均値高くない?」と言いつつ、年々それは低下していってる気がします。
給料が安い。そして労働者1人や現場全体からの声が届かない(つまりはトップや組織の言う通りにだけ働けという)世界で人が生き生きと働くことは難しいでしょう。そうすると人が「最低限の仕事」だけして「最大限の利益」を受け取ろうという個人最適化していくのは仕方のないことだと思います。
呼び方についても僕は賛同しませんが、そんなことより何より大切なのは「お給料を人並み程度以上に上げること」だと思います。お給料を上げるということは会社の利益も上がっていなきゃ出来ないことですし、会社にお金が無ければシステムを変えていくことも難しいと思うので、これは日本全体の課題なのかもしれませんけどね。ただ何かを決める時に「これによって働く人の給料は上がるだろうか」という検討項目は政治家のみなさんには常に入れておいてほしいなあなんて。
ほんと、呼び方でいがみ合ってる場合じゃないんですよ。「現場の神様」が日本から絶滅せず、エリートと共存していける世の中であってほしいなと願ってます。
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