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事故に遭った日

※去年の話です

私はその時ネームのあまりの進まなさに煮詰まっていて鬱屈とした日々を過ごしていた。
作業はしなくてはいけない、でも全くやる気にならないの繰り返し。やりゃあいいんだが。

そうだ、気分転換でもしようかな、と思い立ったのが11時である。遠くのショッピングモールまで行って買い物をしてもいいし、映画を見てもいいし、何か美味しいものを食べてもいいな。

母に車を借りていくことを伝えると、「それはいいけど、今日はお兄ちゃんが休みだしお兄ちゃんに運転してもらって一緒に行けば?」と返された。
別に兄と買い物するのはいいのだが、やはり誰かを連れ回すのと一人で買い物するのは買い物というアクションの中でもカテゴリーが違っていて、今日は誰にも遠慮しないで動き回りたい気分だったのである。
再三兄と行くことを勧める母を振り切って、私はなぜか年に一回も履かないスキニーを履いてショッピングモールへと走り出した。

運転はいい。1年間仕事の都合で高速道路で通勤をしていたが、毎日眠くてしょうがないとはいえあの一人きりの空間というのは格別なものだった。
好きなアルバムをかけて、たまにコンビニに寄って、ラジオを聴いて…。

休職してからというもの、家の敷地から一歩も出ない日々が続いていたために車という空間に収まっているだけでなんだか気分が高揚してくるのを感じていた。
交差点で信号待ちをしていると、向かいの歩道で警察が実況見分を行っているのが見えて「おや、事故かな……」と思ったのを覚えている。

さてショッピングモールへの道だが、私の車の前に大きなダンプトラックが走る形となってしまってあ~ちょっとイヤだなあと感じていた。
高速でも下道でもでっかい車が前に走ってていいことは特にないので、ペースを調整してなんとか距離を置きたいところである。
ゆるやかなカーブを経て直線の道に出たところで少しスピードを落とした。もうすぐで四つ角の交差点もあるし、ダンプの後ろにくっついていては前方が詰まっているかどうかもわからないからだ。

ダンプと距離が少し空いたところで私は交差点に進入し、よーしあとはまっすぐ進むぞ~というところで真横から急に軽が突っ込んでくるのが視界の端に見えた。
大きな衝撃があって、相手の軽がグルンと回転していく様なのだろうか、とにかく見えるはずがない車の天井が見えた記憶がある。
「一瞬だな」と思った。

私はそのまま交差点のガードレール手前で車を停車させ、すぐに助手席から飛び出したが完全に天地が逆になった車が目に飛び込んできて、絶望したと言えばいいのか、何も考えられなくなったというのか。
やった。やってしまっている。
運転席の方は意識があるようで、さかさまになったまま「どうしましょうねぇ」とつぶやいていた。
確かにどうしたらいいのかわからない。上品そうなご婦人だった。

助手席側のドアが開いたのでそこから身を乗り入れてとにかく相手を引きずり出さなくては、と思ったが上下さかさまになった車のシートベルトというのはとにかく外すのが難しかったし、外せば運転手の方もシートから天井に向かって落ちてくることとなる。
こんなことやったことないぞ、と思った。そしてもう二度としたくないことでもあると思った。
肩で相手の身体を受け止めながら運転手を何とか引きずり出すと、ガードレールの外側に座らせて安否確認をしたが出血もなく意識もはっきりしているようだった。しかし車はこのありさまであるし、今後何かが起きないとも思えないので救急車を呼ばなくてはならない。

ふと周囲を見回すと、周囲のドライバーたちが集まってきてくれており、交通整理などを行ってくれているようだった。
その場に駆けつけた女性が救急車を呼んでくださるとのことで、「では私は警察に連絡をします」と役割分担を行う。
「目の前で自分に関係のない事故が起こったとして、私はこの人たちのように能動的に関与していけるだろうか……?」とその路上の善意に感謝した。

普段暮らしているわけでもなく通っているだけの道の場所を正確に警察に伝えるというのはかなり難しい行為だった。
「○○のそばですか?」「いえ、××が見えて…」というやり取りを数分繰り返し、とにかく現場に向かいますということで話が付いた。

相手の方は衝撃で足が立たなくなってしまった(腰が抜けたようだ)とのことで、ぺたりと足を延ばして座っていた。
「大丈夫ですか、何かおかしなところはありませんか」と質問すると、
「今のところは大丈夫だけど……ねえ、あと数十秒でも違ったらこんなことにはならなかったのかもしれないのに、ごめんなさいね」と帰ってきた。
数十秒。その数十秒で事故が起きなかったかもしれないし、もしかしたらもっとはっきりとした大怪我になっていたかもしれないし、「運命に“もし”はない」とはまさにだな…と思っていた。
なんで兄と一緒に出かけなかったんだろうな。あんなに母が言ってくれていたのに。

そうこうしていると救急車が到着し、相手の方はストレッチャーに乗せられて救急病院に搬送されることとなった。
運ばれていくときに相手は私の目をじっと見て、「大丈夫よ、あなたが心配するようなことは何もないのよ」と言ってからその場を離れて行った。
私は、自分の車が逆さまになって大破するような目に遭った際に相手を慮る人間がいるのだと思って胸が痛くなり、それまで事故の当事者として気が張っていたのがブツンと切れたようでそこで始めて涙がバーッと出た。

警察が到着し、連絡先などの書類を記入し、免許や車検証を提出する。
幸い車にはドライブレコーダーを着けていたので映像を提出する運びとなる。
「じゃあSDカードを貰ってもいいでしょうか」
「ハイ!」
SDカードを抜くと、その勢いで手をすっぽ抜けて助手席の足元に消えてしまった。
アーッ!!
この状況で事故映像を紛失する人間、何か後ろめたいことがあるように思われかねない。
必死にあたりを探し回るが出てこず、母が放置したままだったコンビニコーヒーの残りがひっくり返ってカバンの中に注ぎ込まれたりライトで照らしたりと一瞬で永遠のような時間を過ごし、最終的には小さな小さなSDカードが足元マットの裏に隠れようとしているところを確保できた。

「じゃあ、ここにあると車が邪魔なんでね、向こうの路肩に移動してください。我々が押すのでハンドルだけ切って貰って……」
私は正直さっきの事故でもともと少なかった運転への自信が雲散霧消していたので「む、無理です…」と答えたが、警察も人の車を勝手に運転するわけにもいかないのであろう、そこをなんとか頑張れ、と押し返されてしまった。
運転が下手なのに警察の皆さんに車を押してもらって…??うわああ……と思っていると、意外にも前方の一部が大きくひしゃげた私の車はちゃんとエンジンがかかるようだった。
人に押してもらわなくていいということで少し気が楽になった私は弾みが付き、なんとかヨロヨロと路肩に車を寄せることに成功した。

「じゃあ、レッカーを手配してもらえますか」
「はい!(レッカー?)」
レッカーって、レッカーって自分で手配するものなのか。
思いもよらないことだった。だって事故を起こしたことが無いから。
私の頭の中を「レッカーってどう呼ぶんだ」が激しくグルグルと駆け巡ったが、財布の中にJAFの会員証が入っていることを唐突に思い出した。
そうだ!JAFだ。私はJAFの会員なのだった。


家族でJAFに加入しており、小学生の頃からJAFの会報誌であるJAFメイトの「こんなときどうする?」コーナーやクロスワードコーナーに親しんできた経験がここで花開くとは。
JAFに電話すると会員番号と現在位置を確認され、すぐにレッカーが手配されることとなった。俺たちのJAF。
これで一安心、と思ったのもつかの間、オペレーターに「お車はどこに運びましょう?」と確認を受ける。
ええっ…!?運び込み先も私が決めるのか。
これはもしかしたら運転手には常識のことなのかもしれないが、私は事故は初めてなので何もかもが未知である。
次々に私が答えを知りえない決断を迫られるので焦り、
「普通は……………他の人はどうしてるんですか?」と尋ねると、オペレーターもちょっと困惑しながら
「皆様…いつも車検をされているところに運ばれるかと…」と答えてくれた。
とにかくレッカーが到着後に場所を指定してくれればいいから、とのことでいったん通話は終了。
車検か。どこでやってるんだろうな。
この車は母の持ち物なので母に確認しなくてはいけない。

ここでようやく家族に事故が起きました、ということを連絡する。
「あのー、事故に遭っちゃって、今警察が来ていて、車をレッカーしないといけないんだけど、車検はいつもどこでやってるのかな…運ばないといけないから……あの~、あの道の、コンビニ超えたあたりのとこで…そう……」と世界一要領を得ない説明をした記憶があるが、さすが家族なのか私の口から出なかった言葉や位置関係を汲み取り、車検証の収納位置と今からこちらに向かってくれる旨を伝えてくれた。

さてこれでレッカーと運び先は手筈がついた。あとは何をすればいいんだろう。
そうだ、保険屋だ。
スカパーでしょっちゅう流れている通販型保険のCMでもなんでも「事故を起こした時、オペレーターが親切でぇ……」と繰り返し言っているではないか。
つまり事故を起こしたら保険屋に電話するべきだったのだ。
今更それに気づいた私は車検証と一緒に保管されていた保険証を引っ張り出し、事故を起こしたときはここ、という番号に連絡をした。
保険証を見ているとビニールカバーに「事故を起こしたときにすべきことフローチャート」が書かれていて、いや最初からこれを見とくべきやなかったんかい。と思った。
しかしチャートに書かれている行動は大体自分で行い終えたようで、私は自分の事故後にすべきことをカンでこなした才能(manage to do)に感動したが、いやまあこんな才能は二度と発動してほしくないとも思った。

オペレーターに状況説明を終えると、「とにかく相手の名前と保険屋、連絡先を入手してくれ」との指示を受けた。
つまり、向こうの加入している保険屋の担当者とこちらの担当者がやり取りをするためにそこまでは私が繋がなくてはいけないと。
でももう相手は搬送されている。
これは警察の方に聞くしかないようだった。

私が一通りの連絡を終えたことを見ると、警察は「じゃあ今から現場を確認しますので」と声をかけてきた。
遠くで散らばったガラスを片づけている警官たちはごく自然体で、私にとって今の状態は非常時中の非常時であるが彼らにとっては事故現場こそが通常業務の一つである、ということに妙な感覚を覚えた。

ドライブレコーダー映像を一緒に確認する。
どうやらドラレコの設定時刻が実際の時刻とズレていないことを証明するために時計と一緒にドラレコそのものの写真を撮るらしかったが、私がミラーに山口民芸金魚ちょうちんのストラップを吊り下げているためにそれがプランプランして映り込むのに苦戦しているようだった。
「押さえます」
私は金魚ちょうちんをグッと掴み、警察の方もその隙にハッと写真を撮った。
何なんだろうこの状況は。

「映像を見たけど、速度も出してないし、この交差点ではあなたが優先道路だから走行としては正しいです。前のダンプは気になっていた?」
速度を出していない、私が優先道路との言葉で私は少し心の重責が軽くなったような気がした。
これでくっあーー!赤信号になっちまう!いっけー!ブオーーンとかしてたら終わりだった。人生いついかなる時も真面目に運転することで救われる場面が少なからずあるものだ、とも思った。
「ダンプは気になっていました。離れないと交差点の見通しが悪いと思って」
「じゃあ交差点の位置がどこから見えていたか確認します」と言って、担当者と私は白線の外側を歩き始めた。
「ここですか?」
「この辺ですか?」
「この辺で相手の車は見えましたか?」
と次々に確認されるが、正直覚えてないよ!と泣きだしたい気持ちだった。
でも相手がいない以上、私がここで正確に、ごまかさずに全て伝えるしかない。
昼前に出たはずがもう夕日が傾いていて、肌寒い風に吹き晒され、事故に記憶を必死にひねり出す。すごい一日だ。
スカート履いてこなくてよかったな。
スカートじゃこの風の中で立っていられなかった。

そこでようやく気付いたが、遠くの路肩に兄と母が立っていた。
兄の車で駆けつけてくれたようだった。
私は事故を起こしたときに家族がここまでやって来てくれる身であることに心から感謝し、同時に「これって……誰も迎えに来てくれない人はレッカーされた後どうやって帰るのだろう」とも思った。警察が送ってくれるんだろうか。

実況見分が終わり、相手の名前と緊急搬送先の病院を教えてもらう。
その日の救急指定病院はとにかく遠かったが、行くしかないだろうと思った。
兄や母は事故に遭った私を気遣って優しい声をかけてくれたが、私の頭の中はずっと「相手の具合はどうだろう?」ということで一杯であった。
その場では何ともなくとも実は頭を打っていたとか、興奮していて気づかなかったが骨が折れていたとかいくらでもあるだろう。

病院に着き、受付に「○○さんは…」と伺うと「そこでお待ちです」とのことで、パッと振り向くと相手の方がベンチに座られていた。
すぐさま互いに頭を下げあい検査結果について訪ねたが、どこも異常がなかったとのことでまた一気に涙が溢れてきた。
泣いてる場合じゃないが。連絡先を交換しなくては。
住所と保険屋、名前を紙に書いて受け渡し合うと相手が「かわいらしいお名前ねえ」と私の名前を褒めてくださって、私はそれでまた泣けてきた。

今まで私は、私の身に起こる幸運なことは全て周囲の人のおかげだ、と教えられて生きてきた。
大学に合格したのも、寝不足のみで高速道路で通勤しながら事故に遭わなかったのも、マンガがいろんな人に楽しんでもらえるのも、私の周りの人の尽力、天に積んだ徳、愛情、、真面目に生きてきた結果、全てそういったものに私が支えられているおかげであると。
だから感謝しながら生きるんだぞ、ということである。

その上で今日の事故だ。
まあ事故に遭ったのは不運ではあったが、互いにけがもなく、しかも相手がこのような物腰柔らかく優しい方であるのはまさに奇跡としか言いようがない。
とにかくよかった。幸運だ、私は、と思った。

その後保険担当者を通してやり取りを行い、先日交渉も終了し無事に解決に至った。未だにドラレコの動画がデスクトップに残っていて嫌である。

事故後しばらくは車に乗ることも苦痛で、ツイッターに流れてくるバイクのツーリング動画のサムネイルを見ても胸が悪寒に満たされるほどであった。脇道から出てこようとする車の頭にゾッとするようになった。
あと悲しいことに劇場版リョーマも見れなくなった。
越前君、事故というものは……本当に大変でね……。

もうあまり積極的に車を運転することはない。
でもまた運転したいとも思っているし、運転したくないとも思っている。
教訓としては、「気分転換なんて能動的にするもんじゃねえ」というところであろう。

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