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ごはんの穢れ思想

私はカレーがあんまり好きではない。
カレーが好きじゃないというと、カレー好きの人からは「ど、どうして?」と思われがちなものだが、我々からすると幼少期から「とにかく子供にはカレーを食わせておけという思想、材料・工程が基本的でありつつ難易度が低いためキャンプ等で作らされる」という辛酸をなめ倒してきており、もうカレー…好きだよね?という圧に屈したくはないという気持ちなのだ。

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 それにしても、なぜカレーが嫌いなのだろう…ということを最近考えることがあり、これは単に味が嫌いだとか辛いだとかというよりは私の中に「穢れ理論」というものがあり、それに基づいてカレーが低評価されているのではないか?ということに気づいてきた。

 簡単に言えば、カレーは「米が汚れる」から嫌いなのである。
誤解を招かないように言っておきたいが、美味しいカレーが衛生的ではない!!という話では一切ない。侵略されるとでもいおうか…。
カレーが付着した米は、その時点で「カレーの付いた米」になり、米本来の味わいや触感が損なわれてしまう!!と感じている。
つまり私は、食材が ”不可逆の状態” ”味の塩梅を自分でコントロールできない状態” になるのが嫌いなのである。
だからカレーを食べる時は、先にルーだけ必死に食べる。米が比率でルーを圧倒した瞬間から私の「正しいカレー」なのである。自宅で食べる時はそもそもほとんどルーを注がないが…。

 思えば幼少期からその傾向はあり、私は一定の年齢になるまで焼肉にたれを付けることに難を示していた。サラダにはドレッシングはかけないし、最近はトーストってマーガリン塗らないほうがうまいかもな…となってきた。
寿司もそんなに好きじゃない。

 これは私と同じく「穢れ思想」を一定支持している神崎タタミ先生と意気投合した話題だが、やはり丼ものは我々の間では評価が低い。
もちろん、つゆだくなどにされると米が問答無用で穢れるからである。私がすき屋ではとりそぼろ丼を選択することも、コントロールの易さから導き出された答えなのだ。
しかし神崎先生はラーメン大好きらしく、つけ麺を支持している私とは道を違えてしまった。穢れ思想も一枚岩ではないからな。

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 もちろん大人になってくると「食事の用意が一皿で済む料理の重要さ」がわかってくるのでその点でカレーや丼ものが重用される意味も分かってくる。
しかし私はそこに加えて「皿洗いが楽な料理」という加点ポイントを設けているため、穢れ思想と相まってカレーの総合評価が低くなるのは残念ながら当然のことであろう。納豆をごはんに…なんてとてもではないが耐えられない。

 我ながらあんた、そんなことばっかり考えて飯食って楽しいの!?という感じだが、私はとにかく米がパンが麺が、皿が穢れない食事が好きなのである。
えっ…ディストピアに向いている人材?

こんなにカレーが好きじゃない私だが、なぜかweb拍手で「美味しいカレーのレシピを知りたいのでフォロワーに聞いてほしい」と頼まれて律義にまとめているので、もしカレー好きの方で、ここまで読んでカレーをこてんぱんに言われて胸を痛めている方がいればこのツリーをぜひご参考下さい。




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