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「願いをさえずる鳥のうたーとある姫と皇子の逃亡劇ー」 第7話

#創作大賞2023 #中東ファンタジー #後宮 #鳥籠

第7話 後宮姫、うっかりやりすぎる

 その時、一瞬気を失いかけたカシワは。
『セリム』という言葉を聞いて、上半身を起こす。
 袖に入れていた短剣は、すでに鞘が抜かれていた。

 ――カシワはそのまま、馬乗りした男の太ももを斬った。

 半円を描くようにして斬られた太ももは、そのまま噴き出るように血が出る。

「……」

 斬られた男は茫然と、噴き出た血を見て、遅れて叫んだ。

「ぎゃあああ!」

 止めにかかった二人も、血の気を失い、そのまま手を離す。
 再び男に覆いかぶされる前に、カシワは身体を起こした。冷たい地面に蹲った男は、最初はうるさく泣き叫んでいたが、その声も徐々に小さくなる。

 雲がかかっていたのだろう。暗かった路地裏に、蒼い月光が差し込む。
 カシワの身体は丁度、屋根の陰と月光が当たる部分の境にいた。
 右手に握られた短剣はその月光が当たる場所。血がポタポタ、と先から落ちる。カシワが半歩足を進めると、水たまりを踏んだような音がした。
 カシワの足元には、先ほどの血だまりが。
 そしてカシワの目は、右目が緑に、左目は褐色に分かれており。
 乱れた茶色の髪と、少しだけ黄色い肌、茶色のブラウスとズボンには、真っ赤な血が飛び散っていた。
 彼女の視線が、男たちをとらえる。

「ま……待ってくれ! 俺たちは止めようとしたんだ、あんたを害そうとは思ってない!」

 男たちは膝をついて懇願する。

「お、俺たちは1か月前はただの市民で、給料がいいから、こないだ軍に入ったばっかりで!  だ、だから」

 カシワの目に、視力が戻ってくる。
 脅えている。軍人が。男が。血を見ただけで。剣も抜かずに。そちらの剣のほうが、こちらよりリーチがあるにも関わらず。
 ――やれる。

「や、やめてくれ」

 カシワはぼんやりとした思考のまま、短剣を握り直し、振り上げる。

「死にたくない!」

 そのまままっすぐ、無慈悲に振り下ろした。

「やめろ!」

 別の声が、矢のように飛んでくる。
 それと同時に、カシワの短剣は空中で止まった。
 カシワの細腕を、セリムは力いっぱい止めた。
 温かい。血? ――いや、違う。
 これは体温だ、とカシワは認識した時、視力が完全に戻った。

 赤毛が混じった金髪に、カシワよりも白い肌。初めて会った時は、女の子かと間違えた。
 今はもう、カシワよりも背が伸びて、女の子だと思うことはない。

「……セリム? なんで?」

 もう何年も出していないかのような掠れた声が出る。
 セリムは明らかにほっとした顔をして、すぐさま険しい顔になった。

「説明は後だ、ここから離れるぞ!」

 そう言って、セリムはカシワの腕を掴んだまま走る。
 走ると頭がぐわんと揺れ、何かを吐き出したくなるような不快感が襲ってきた。

「う、気持ち悪……」
「⁉ なんか変なものを食べた⁉」
「いや違う……」

 私を何だと思ってるんだと言いたかったが、そんな余裕はなかった。足を進めれば進めるほど、平衡感覚がおかしくなる。

「多分さっき殴られたから思いっきり……」
「え……」

 セリムが凝視して足を止めた。

「ああいや、出血はしてないから、多分大丈夫」
「大丈夫じゃない!」

 セリムが叫ぶようにして遮った。

「見た目無事でも、時間をおいて死ぬことはよくあることだ!」

 そう説明している間に、セリムの後ろから軍人がやって来た。

「セリム! あぶな、」

 い、と言いかける前に、セリムは後ろを向いて持っていた棍棒をたたきつける。
 男はそのまま後ろに吹っ飛ばされ、力なく崩れ落ちた。

「強⁉」

 セリムの強さに、カシワは思わず目を丸くした。
 だが、あっけにとられる前に、セリムに腕を引っ張られる。

「あと少しだから頑張ってくれ!」

 再びセリムはカシワを引っ張って走り出した。
 路地裏を抜けて、視界が開ける。川と海を繋ぐ橋へとたどり着いた時、緑のマントをはためかせたあの魔術師がいた。
 魔術師の足元には、赤い絨毯が敷かれてある。

「早く!」

 魔術師にせかされて、セリムの走る速度が上がる。
 カシワはついていくのが精いっぱいで、走っているというよりセリムに引っ張られていた。
 カシワたちが絨毯の中心に来た途端、その絨毯は人を乗せて浮上していく。

 ――魔法の絨毯だ。

 寝物語として伝えられる伝説の魔術道具に、カシワの心も浮いた。……しかし、気持ち悪さが勝ってはしゃげない。

 やがて街を一望できるほど上昇したころ、軍隊を引き連れた上官らしき男が、こちらを見上げて叫んだ。

「……皇太子!」

 え、とカシワは思った。

「降りてきてください! あなたでないと、この国は!」

 そう男が叫んでも、絨毯は下に降りることなく、そのまま夜空を飛んでいく。

「……ごめん」

 どんどん離れていく街を見下ろして、セリムはポツリ、と謝罪を口にした。



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