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「願いをさえずる鳥のうたーとある姫と皇子の逃亡劇ー」 最終話

#創作大賞2023 #中東ファンタジー #後宮 #鳥籠

最終話 願いをさえずる鳥のうた

 そこで身体をゆっくり起こし、カシワは尋ねた。
「――皇帝に、なりたかった?」
「そんなもの!」
 吐き捨てて、セリムはこちらを見た。
 カシワの目に映ったのは、熱がほとばしったセリムの顔だった。

「なりたいわけないだろう! こんな、ろくでもない国……。でも、――そうならないと価値がないって言われ続けたんだ‼」

 皇太子として扱われようと、第二皇子として無視されようとも、セリムには大した差はない。
 ――どちらも、自身の人格を否定されてきた。
 泣くことはみっともないと抑えつけられ、笑い声さえも耳障りなものとされる。セリムを黙らせるために、飴を与えて宥めすかし、鞭打つ痛みで意思を殺した。それでも駄々をこねて、ひたすら喋って、声を張り上げて。
 カシワと出会っていたことを咎められた日。セリムが何かを言えば、カシワに罰が下ることがわかってからは、セリムは一切口を閉ざした。

 痛むのは、抗うからだ。悲しいのは、望むからだ。
 籠の鳥はおとなしく、歌の一つでも歌えばいい。
 なのに。

「なんで連れてきちゃったんだよ……一人で逃げればよかったのに……」

 開かないはずの鳥籠は、ものすごいエネルギーを持った少女に強引にこじ開けられた。
 そうして気づいてしまった。自分は、外に行きたかったのだと。
 ――その自由のツケが、大切な存在に降りかかることを知っていたくせに。

 セリムはカシワを抱きしめていた。
 小柄なカシワは、すっぽりとセリムに覆われて。カシワがきく自由は、今は両腕だけ。
 けれど先ほどの男とは違い、怖くなかった。
 カシワは手をセリムの後ろに回し、赤毛交じりの金の髪を撫でる。

「それでも私は、あなたに死んでほしくなかったんだよ」

 まるでそれは、泣く弟を慰める姉のような声だった。

「だって私も、それしか価値がなかったから。……もう、それしか、生きたいって思えるものが……なかったんだよ……」

 けれど徐々に、声は涙ぐんでいく。

 女子供と言うだけで、弱いものだと認識され。
 その弱さゆえに閉じ込められ、その弱さゆえに搾取されていく。
 弱いものは、強いものの言いなりに。女は男の言いなりに。そうなりたくなかったら、男を手玉にとり、強くなって弱いものを踏みにじって生きていくしかない。

 ――そういうのじゃないものが欲しいのに、カシワの力では手に入らない。

 ただ、自分のために泣いてくれる人が欲しかった。生きていいよ、と言ってほしかった。一緒に行こう、と隣同士で歩きたかった。誰の目も気にせず、好きな人と一緒に歩きたくて。
 その願いを、カシワは間違っているだなんて思えなかった。思いたくもなかった。

 静かな星月夜の原野で、二人の子供は泣いた。
 そこにいたのは、年頃の男女じゃなくて、ただの子供だった。
 奪われ搾取され抑圧され束縛されて。

 それでも自由を取り返そうともがき寄り添った、ただの子供だ。
 この国で魔術師だけが、それを知っている。

           ■

「その短剣はね。要するに、意思が宿っているのさ」

 潮風が激しく吹く中、魔術師であるアトラスは、特に声を張り上げるわけでもなく普通の声量で喋った。なのに、なぜかよく聞こえる。

「極東では、物には意思が宿ると言われている。それを聞いた偉大なる魔術師は、『ならば武器に意思を持たせたらすごいことになるんじゃね?』と考えた。その一つが、その短剣さ」

「生きている……ってこと?」

「いや、生きてはいない。偉大なる魔術師の力をもってしても、人間のような複雑怪奇な思考は持てなかった。ただ、あらかじめ込めた命令には、即座に対応する。すなわち、ある魔術にはこういう魔術で相殺しなさい、こういう攻撃を受けたときはこう対応しなさい、という風にね。毒の種類に応じて、いくつもの解毒薬が存在するのと同じ。
 そう、その名も『万物殺し』ってわけさ!」

「え、それがこの短剣の名前⁉」

 ダサい、とカシワは思った。 いやしかし、ふさわしい名前かもしれない、と思い直す。
 ……だから監視の魔術をかいくぐって宮殿を抜け出せれたし、男から暴行を受けても勝手に身体が動いたわけだ。後者は殆ど意識がない状態だったけど。
 そこまで考えて、ふと思う。

「でも地下宮殿の監視は掻い潜れなかったわよね……」

 あの魔術だけ相殺できなかったのか、とカシワが思った時。

「ああ、あれは私の魔術じゃないから」

 ケロ、と元・宮殿付き魔術師は言った。

「宮殿の魔術は私が書き直したものだけど、あの神殿は作られた当時の魔術道具を使用しただけ。神代に近い魔術だから、私にも解析できない。同じもの作れと言われて出来るもんじゃない」

 無論、それを相殺する魔術もね、と魔術師は付け加える。
 だんだんと、雲行きが怪しくなってきた。

「…………ひょっとして、この短剣を作った、『偉大なる魔術師』って」

「わ、た、し♡」

 にっこりと笑ってえくぼをつくるアトラス。
 反射的にカシワは金玉を狙って蹴った。
 が、雲をつかむようにアトラスの姿が消える。

「残像だ」

 いつの間にかアトラスはカシワの後ろに回った。

「残像っていうか幻術でしょ⁉ ってか、自分の魔術に自分がひっかかってたんかーい!」

 地下宮殿にてアトラスは、「誰一人力を借りることなく、窓の檻も警備も魔術の監視もすり抜けたのか」などと宣っていたが、自分で作ったものに裏をかかれただけである。そして自分で偉大と言うなし。

「まあ、もともと皇帝用に作ったものが、まさかその養女でしかないキミに渡っていたとは思わなかったよ」
「……これは、母様が亡くなる前に私に渡してくれたの」

 カシワは、鞘に収まった短剣を握りしめる。
 アトラスがああ、と頷いた。

「君の母君は先代の……現皇帝とセリム皇子の兄上の奥方だね。先代とキミの母君は、とても仲が良かった。奥方は正妻ではなかったけど、とても一人の連れ子を連れてきたとは思えないぐらい、睦まじい夫婦だったよ」

 そう言って、アトラスは目を閉じる。

「うん、懐かしいな。彼は良くできた皇帝だった。身体が弱くて、在位も長くもなかったけど。彼がいたから、私は宮殿付きになった」

 私はね、とアトラスは言った。

「故郷がユナニスタンなんだ。と言っても、魔術師なんて基本根無し草で、子供は親にくっついてあちこちを放浪して過ごす。だから故郷って感じはしないんだけど。彼に出会ったのは、ユナニスタンだったから。キミたちの案内ぐらいは出来るつもりだよ」
「……今更だけど、よかったの? 私たちを助けるなんて」

 現在、カシワとセリムは堂々と港にいた。アトラスの幻術によって、三人は今他者からは別の姿に見えるのだという。このまま船に乗れば、そのままユナニスタンに着くそうだ。
 昨日はどうしようかとうんうん唸っていたのに、あっさりと解決。魔術師って便利。

「有難いけど、あなたにとってはおいしくないでしょう。……宮殿付きを辞めるどころか、皇国に追いかけられるようなことしてるわけだし」

 アトラスはもう、緑のマントを被っていない。
 各地を渡り歩いた名残か、黒髪と黄色の肌は日に焼けていた。線が細く見えたが、セリムよりずっと体格がよくてカシワは驚いた。

「私は皇家に忠誠を誓ったわけじゃない。言うなら、先代のファンだった。だから傍にいたかった。友人だった、とも思う。だから今度は友人の弟と、友人の娘を助けたいと思うのさ」
「……」

「それにこっちのほうがおもしろそうだしね!」

 それに私以上の魔術師はいない、よって追手も追いかけられないわけだ、と自信満々に言い放つ。
 はあ、とカシワはため息をつく。魔術師とは聞いた通り、ろくでなし・人でなし・常識なしの生物らしい。人情を期待するだけ損だった、と呆れて、先に行く。
 桟橋を歩くと、ヴェールが吹き飛ばされてしまうかと思うほど強い潮風がふき、思わず目を閉じた。手で押さえて目を開けると、すでに船の上甲板にいたセリムが、こちらを見下ろしていた。
 カシワはセリムの元へ駆け寄る。
 生まれて初めて見る海原の光はまぶしい。潮風になびいたセリムの金の髪と白い頬が、輪郭をぼかしながら輝く。
 海はあの更紗の藍の色だと思っていた。
 今自分の目に映る海の色は、セリムの髪と肌を溶かして、あらゆる絵の具を混ぜた油絵のような、一本一本違う色で織りなされた絨毯のようにも見えた。

「……」 「……」

 お互い黙って見つめ合うこと数分。

「あ、あのさ」

 気まずさで先に会話を切り出したのは、カシワだった。

「さっき、アトラスにも尋ねたんだけど。……鳥籠《カフェス》から連れてきてよかった?」
「……本当に今更」

 ですよね。カシワははは、と乾いた笑い声しか出なかった。
 カモメの鳴き声が聴こえる。獲れたばかりの魚が、観光船よりずっと小さい船の上で売られていた。カモメたちは、その魚を狙っているのだろう。

「……カシワは、後悔しない?」

 セリムは、ポツリと呟いた。

「追手だけじゃなくて、これからどんどん、世界情勢は複雑で、急速に変わっていく。もうどこにも、安全地帯とは言えなくなる。――それでも、後宮《ハレム》を出たことを、俺を連れ出したことを、後悔しない?」

「しない」キッパリと、カシワは言い切った。

「少なくとも私は、今、行きたい場所へ行こうとしている」

 そう言って、カシワは手を差し出す。

「一緒に来てくれる?」

 そう言うと、セリムは微笑んで、握手した。

「勿論」

 日差しはまだ厳しいのに、その体温は心地よく。
 笑顔を浮かべるカシワの瞳は、いつも以上に光を吸い込んでいた。
 それがセリムには、何時か見た星の光に見えたのだった。


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