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分かりやすい文章という名のリスク

世には読みやすく分かりやすく、伝わりやすい簡単な表現こそが優れている、という意見がどんどん強くなってきています。

そういった文章術の本も、多数出版されています。
それだけ世間にあふれる情報量が増え、人の消化できる余裕が減っているのでしょう。

ですが、あえて強く言いたいのですが、盲信するのは危険です。
分かりやすさには、とても大きな欠点を抱えているからです。

分かりやすさに潜む欠点を知った上で、扱うのならば良いのです。
ですが知らずに目指すと、大きな痛手を食らいかねません。

そして、世の分かりやすさを大切に、と説く人たちは、その欠点にはけっして言及してくれないのです。

分かりやすくなることで削がれる物がある

この人の文章はすごく魅力的だな、と思わされることはあるでしょう。
それは分かりやすいから魅力的なのでしょうか?

違いますよね。
文章の魅力と、文章の分かりやすさは別の項目です。

もちろん、分かりやすい文章で魅力的な分を書く人はいます。
ですが分かりやすく書こう、書こうとすると、どうしても使える単語が限定されてきます。

本来なら使いたい言葉を、伝わりにくいかもしれないと、自分から制限し、使った後に修正し、誰もが知っている、でも本来伝えたい、頭の中で一番最初に選んだ言葉を否定する可能性が出てきます。

少ない語彙で相手を惹きこむ文章を書くのは、熟練の腕が必要になります。

膨大な選択肢の中で、分かりやすさを価値に置いてしまうと、結局世の中で使われる言葉は似通い、個性を殺す可能性が高くなってしまいます。

それがあなたの本当に伝えたいことだったのでしょうか?

多数に大雑把に理解して貰うことが目的なのか、一部の人に齟齬なく伝えることが目的なのか?

目的の大切さを理解しやすい題材として、専門書があります。
専門書は一般人には読みづらく「伝える努力をしていない」と思われやすい傾向があります。(じつは私自身が、学生の頃には文句を言っていました)

難しい単語だらけで理解するのに時間がかかり、読むのに脳に多大な負荷がかかる専門書。
初心者向けの分かりやすい本を読んで、どうしてこの本のように工夫できないのか、と不思議に思ったものです。

では専門書の目的はなんでしょうか?
それは本当に大切な知見を、齟齬なく相手に伝えることです。

たとえば医学書は理解に相違があれば、それによって人命が失われるかもしれません。
なんらかの工学に関わる本であれば、重大な事故が起きるかもしれません。

そういった万が一の事態を防ぐためにも、厳密に定義を定めた言葉を多用し、同じ単語を理解している相手にだけ、しっかりと届けることを目的に書かれています。

目的なき分かりやすさに価値はない

では、分かりやすい文章がダメなのか、と言えば、一概にはそう言えません。
あくまでも目的ありきです。

小学生でも理解してほしい。
そういう題材の場合もあるでしょう。

先ほどの専門書でも、入門書や一般人を対象にした新書などでは、平易な言葉を使われます。

あるいはビジネスとして、幅広いリーチ層に訴求したい、という場合もあります。小さな子供からお年寄りまで読んで欲しい。だから平易な文章を書くという場面も考えられます。

でも、こういうことを文章の本では伝えてくれません。

一つの目的だけを伝えた方が説得力があるからです。

・時と場合によって使い分けた方が良いけど、分かりやすい文章は良いですよ
・文章は分かりやすさが第一!

どちらが相手にインパクトを残せるでしょうか?
本当に大切なことって、実は分かりやすさではなく、『時と場合による最適』であることが多いです。

でもそういう大切なことに限って、伝わりにくい問題があります。
文章術の本もビジネスですから、説得力があってお金を出して買ってもらわないといけません。
だからどうしても発言が偏りがちです。

ビジネスで使う文章と、小説やエッセイで使う文章では、使われる言葉に大きな差が出ても、自然なことです。

あなたは何を書きますか?
どうしてその文章を書くんですか?
分かりやすさを求める理由はなんですか?

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