安易に教え合おう、育ち合おう
「有名なプロでもない人が、偉そうに人に教えるものじゃない」
こんな意見を公言してはばからない人もいれば、信じ込んでしまって、自由な発言ができない人もいる。
特に、出版業界のような本人のセンス、カリスマ性の信じられているような職業では、その傾向が強いように思える。
ただ、この考え方そのものが、多くの人の成長を妨げる原因になっていると、私は思う。
・実力があるから、教えるのが上手というわけではない
・家庭教師、編集、コンサル、ティーチングプロ、コーチ、選手としては名を残せなくても、教える側で名を残すケースも多い
・教えようとすることは、要点の整理になり、自分の実力も高まる
実力があるから、教えるのが上手というわけではない
「名選手、名監督にあらず」
一プレーヤーとしては華々しい成績を残しながらも、指導者としてはパッとしない人はいる。
自分の成功法を、感覚ではなく理論として落とし込めない人。
再現性のないやり方を信じてしまっている人。
こんな人に指導を受け、有名なだけに疑問を持たずに従い、盲信してしまうと、痛い目にあってしまう。
選手としては名を残せなくても、教える側で名を残すケースも多い
不思議と、人は有名な選手に教えて欲しいと思いがちだ。
その証拠に、次の質問に答えて欲しい。
Q.あなたは、どちらに教えて欲しい?
ゴルフ:
1.タイガー・ウッズ
2.タイガー・ウッズのティーチングプロ
水泳:
1.北島康介
2.平井 伯昌コーチ
どうだろうか? あくまでも一例ではあるけれど、どちらも1番の選択肢を選びたくならなかっただろうか?
とっておきの秘訣を教えてくれそうだから。
有名人と知り合いになりたいから。
理由は様々だろうけれど、本当に成長を望むのならば、相手の成績を気にするより、教えるのが上手な人に教わったほうが賢い。
それに、教えるのに立場は要らない。
本当に有名なプロにならないと教えてはいけないのならば、指導者側は徹底的に不足してしまうし、商売自体が成り立たなくなる業種も多くなってしまう。
出版業界の編集などその最たるもので、ビシビシと意見を言ってくるケースもあるようだけれど、自身に作る能力が高ければ、自分で作っている。
ただ、作品を客観的に見つめて、より良い物ができるように管理したり、指摘する能力が高い編集さんが、優れた編集と言える。
教えようとすることは、要点の整理になり、自分の実力も高まる
人に教えるということは、結構難しい。
充分に物事を理解している必要がある。
分かりやすいように「知っているよりも分かっている」レベルを求められる。
誰かに物を教えようと考えること自体が、その物事をしっかりと見つめて、考えを深めたり、思考の整理に役立ってくれる。
人に教えている間に、ああ、自分はこんな事を考えていたのかと驚くこともままある。
学校の授業でわからなかったところを、クラスメートに「ああだ、こうだ」と安易に教え合ったように、もっと自身の考えや経験を安易に教え合おう。
恥ずかしがる必要なんてない。
むしろ成長のために積極的に教えても良いぐらいだ。
(ただし、相手が求めている場合に限るけれど)
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