ガンダム外伝アーサー・ドーラン戦記 第一話「グラナダの底に」 U.C.0083

アーサー・ドーラン戦記 ~宇宙世紀パイロット列伝~

第一話 一年戦争後、復興に沸く街と燻る町

U.C.0083 某日

 アーサー・ドーランは月出身者、つまりはルナリアンである。彼の身分証戸籍区分はいまだグラナダにあった。住所はグラナダ開設初期に割り当てられた公営住宅の名残を組むマンションである。
 先の大戦中、中立という立場で被害を免れていたグラナダ等の月都市は、ジオンのモビルスーツ技術を吸収したアナハイムエレクトロニクス社の急成長に歩調を合わせるように、月面都市復興という名のルナリアン優遇政策を甘受した。

 清潔で治安のよい街並みは、月が持つ連邦の経済を支える巨大工業力の恩恵を受けて発展している。エネルギー、物流、生活インフラが目覚ましい向上を見せ、ルナリアンはスペースノイドにあってスペースノイドにあらず、準地球市民といった暮らしぶりだったが、それらは全てアナハイムエレクトロニクスのために連邦政府が差し出した便宜であり、本質は新規工業施設の拡充、つまりは生産力の拡大を目的とした大規模公的資金投入に付随する言わば“おまけ”であった。
 その主要産業は、戦後復興が急がれるコロニー生活需要を満たすためのエレクトロニクス産業であるが、ルナリアンが恩恵を受けている真の理由は連邦軍再建計画で発生した軍需製品にある。
 戦艦・モビルスーツの開発製造を地球連邦とアナハイムが共同で行うために、月への公的資金投入は異例ともいえる超スピードで可決された。それこそ戦後復興の一丁目一番地が月面都市整備であるかのような特別扱いだったのだが、市民生活立て直しの復興需要を満たすためという名目でごり押しがなったのである。

 連邦政府高官は相も変わらず地球暮らしがお好きなようだが、実務を担う役人ともなると地球にへばりついてはいられない。彼らの仕事場は月になった。ジャブローから上がってきた実務方を古臭い月面アパートに詰め込むわけにもいかず、コロニー公社御用達の住宅デザイナーを押し退けて政府筋から提案された、外面だけ地球の高級マンションを真似た都市型住宅が軒を連ねることとなったのである。

 そんな理由で新築マンションが立ち並ぶグラナダいちのホットスポットに、アーサー・ドーランは住んでいた。アーサーはたまたま旧公営住宅の権利を持っていたが、それだけで住み続けられる程月の生活は甘くない。
 旧公営住宅は建て替えのために取り壊され、住民は問答無用で立ち退きか悪ければコロニーへ移住させられた。アーサーが棚から降ってきた牡丹餅を頬張れた理由は別にあった。


 アーサーは大戦終盤の激戦、ア・バオア・クー攻略戦における目覚ましい活躍が認められ、少尉に昇進していた。一度の出撃でリックドム3機撃墜。最終的にモビルスーツ8機と宙間戦闘機多数を撃墜した。
 そしてなにより、アーサーは多くの味方を守った。この事実は連邦の勝利を喧伝する上で又とない好都合であったのだ。

 ジオンに辛勝した連邦軍は、民間人の少年が操るガンダムの活躍を都合よく利用した。ホワイトベース隊の武勇は戦後数々のメディアで連日語られ、連邦市民で知らぬ者はなかった。
 またモビルスーツ開発でジオンに大きく後れを取った連邦は、この事実を逆手に取り、操縦訓練を受けていない民間人であっても高い戦果を挙げられる連邦製モビルスーツの完成度の高さを声高に叫んだ。

 アーサーの武勲も似たような扱いであった。機種転換間もない元モビルポッド乗りが、二度目の出撃でエースと肩を並べる活躍をみせた例として、“RGM-79 ジム”の宣伝に都合よく利用されたのだ。
 アーサーはジム以外のモビルスーツを(ボールを数に入れなければ)知らなかったので、他との比較など出来はしなかったのだが、戦後の広報資料作成の際は如何にジムが素晴らしいモビルスーツであるかを語るスピーカー役をやらされた。何度か行われたインタビューで、幾度となくジムの優秀さを語らされたものだ。

 加えて仲間の背中を守った補給艦護衛小隊という筋書きは、お涙頂戴に沸く大衆と連邦政府広報課から受けが良いらしく、いくつかあったはずのエースパイロット物語をこれまたいくつか飛び越して映像化された。
 顔を真っ赤にして鼻息を鳴らす中年の映像クリエイターが広報課職員に連れてこられた時など、自分の方が落ち着かなくてはいけない気がして少し冷めてしまったものだ。
 台本ありの撮影で操縦の手応えとまるで異なる台詞を言わされた挙句、その台詞がほとんどナレーションに潰されていたことは今でも遺憾に思っている。
 静止画ばかりのカットに適当に拾ってきたジムの映像、俳優が演じるアーサーの“活躍”ーー全部再現VTRでよかったじゃないか、とはしばらく彼の口癖になったフレーズだがーーが取り上げられた番組はそれなりに人気があったようで、戦後復興に関わる娯楽不足のテレビジョンではしばらく再放送されたりもしていた。
 実際はア・バオア・クーへ肉薄していたものの一歩下がった位置で味方の帰りを待っている補給艦の、これまた護衛部隊という、あまり格好良くない配置だったにもかかわらず。

 そんな事情、主に連邦軍の体面の事情により、アーサー・ドーラン少尉は月グラナダの新築マンションに優先的に入居できている次第であった。
 アーサーはコロニー暮らしよりも地に足のついた感じがする月での暮らしが気に入っている。アースノイド(と口にすることは憚られるが)にしてみれば偽りの大地であり五十歩百歩というやつなのだろうけれども。


 今日現在、グラナダは安全な都市だ。きな臭い匂いはアーサーでもわかるほどに濃く漂ってくるものの、月面での生活に支障はない。連邦の監視は主にスペースコロニーに向いており、月の住人が抜き打ちで家探しされるような理不尽は今のところ聞こえてこない。
 もっとも『地下街』を除けばの話だが……

 月の持つもう一つの顔。戦時中中立を保った土地柄、月はいまだ燻っていた。ジオン残党、ジオンシンパが平然と生活している。街往く人が皆平和に浴している、などとは思えない程度にルナリアンの心情は穏やかではなかった。隣人がジオン関係者ではないか、猜疑心に苛まれながら暮らしているのが実情なのだ。

 事実、ジオン残党やシンパの出入りが公然の秘密として扱われている節があった。その証拠が月の地下街だ。上層の煌びやかな街並みを戦火で焼いて、炭を塗したような町。何層にもなったドーム構造体の下層は人の居住を想定していなかった層にまで人が入り込み、さながら町と化してしまった。
 換気能力に対して人が多すぎるため酸素濃度が低い。非衛生的な暮らしは住民を慢性的な健康不良に追い込み、いないものとして扱われる人々は公的支援の枠からもしばしば零れ落ちていた。

 仕事といえばデブリ回収だ。宇宙空間に散らばった戦艦やモビルスーツの部品を拾ってきて、使えそうなガラクタと使えないガラクタを選り分けアナハイムの下請けの孫請けに売るのである。
 危険な仕事だ。モビルポッドが借りられる日はいい方で、何人もランチにしがみついて宇宙へ出たきり命綱一つで働く日もある。貸与されるノーマルスーツに穴が開いているような恐ろしい現場もあった。
 デブリ回収では日々の暮らしが精いっぱいで、住民税を払った後にはギリギリ食費が残るような低賃金の日雇い労働者たちが住む町。それが月の地下街である。


 そんな地下街にアーサーのお目当ての店はあった。開戦前サイド3で食べた忘れられない味を出す店が、なんと月の地下街にあったのだ。
 きっかけは偶然だった。地下街に迷い込んだ(ことにしてちょくちょく火遊びをしている)知人が戦利品に持ってきたタルトを頬張って、アーサーが飛びあがった翌日、知人を伴って地下街へ降りた日からもうすぐ一年が経とうとしていた。

ーー6回、いや7回目かな? 非番の度に来たいところだけど

 地下街のまだ浅い層、上層の街の灯がうっすら差し込む辺り。酒屋とバーに挟まってアングラ書店の類がひっそりと営業するいかがわしい通りを進むと明かりの切れ目に石畳が見えた。
 石畳の辻を一つ入ると、似つかわしくない可愛らしい小舟の看板が、小さなネオンに縁どられていた。
 窓はブラインドが下りているが、営業中なのが分かる。

「いらっしゃいませ。今日はいらっしゃるんじゃないかと思っておりましたよ」
「そ、そうですか? 突然シフトが変わったところだったのですが」 言いかけて、アーサーは自分がまだ分厚いマスクを着けていることに気が付いた。

「そろそろいいんじゃありません? お店の常連はあなたのことをよく知っていますし」
「そういうわけにはいきませんよ。終戦からまだ五年と経っていません、余計ないざこざを持ち込んで貴方々に迷惑をかける訳には……」

 アーサーは顔が売れてしまった。例の広報番組のせいだ。おかげでマスクが欠かせなくなっていたが、この町ではマスクをしている者が少なくない。不自然には映らないはずだった。
 例の番組で実際よりも誇張した活躍が広まったため、またアーサー役の俳優がベビーフェイスに熱っぽい怪演をかましてくれたおかげで余計に、アーサーの評判はしばらく上がりっぱなしだった。
 放送後の半年間など行く先々で記念撮影をせがまれるので、アーサーの食事は官舎の食堂かデリバリーに頼る羽目になっていた。そのくせ軍での待遇は変わらずじまい。理想と現実が違うのは戦場だけではなかった。

「安心してください。この辻に店を構える者は皆弁えております。 ご迷惑をおかけするようなことになれば、そのときは……」
「逆ですよ。 私が他所から面倒を持ち込みやしないかと」

 そしてアーサーは、自分がジオン残党に恨まれているのではないかと恐れていた。再放送の度スピーカーから流れるナレーションに思考が遮られた。俳優の熱演が、誇張した表現が、連邦軍人であること以上にジオンシンパの感情を掻き立てているのではないか。そんな考えが頭から消えなかった。

ーーそれなのに、またここに来てしまった

 軽はずみなことをしている自覚はあったが、どうしても知りたかったのだ。この店が、あの菓子屋なのではないか。主人の顔は知らなかったが、ひょっとして厨房で菓子を焼いていたのはこの……

「つかぬことをお伺いします。ひょっとして、アーサー・ドーランさんじゃありませんか?」

まずい。気を抜きすぎたか……アーサーの後悔が顔に出てしまったところで、声の主は鼻を鳴らした。

「失礼しました。以前、テレビジョンのプログラムでお顔を拝見したものですから、つい。 お気を悪くさせてしまいましたか」
「いえ! お気になさらず。こんな風に声をかけられるのは久しぶりだったものですから。最近は皆さん忘れてくれたものとばかり。はっはは…」

 声の主は顎に短く無精ひげを生やした中年男だった。黒く短いコートはお尻の半分ほどの高さで切れており、前のボタンを全て開け放している。ジーンズを止めるベルトにはでっぷりと腹の肉が乗っていた。ベージュのシャツはくたびれた襟を必死に立てているが、今にも倒れそうだった。寸足らずな袖からは傷跡だろうかゴワゴワした手首が生えている。指先はさらにボロボロで、両の手指が十本ともあかぎれていた。

「もしご迷惑でなければ、ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか。」

店主が口を挟む様子はなかった。アーサーは断る理由がなく、男と二人カウンター席に並んでタルトと紅茶が運ばれるのを待った。

…………第二話へ続く

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