じいちゃんとジャムパン

自己紹介の前に

マイスタイルコーディネーター石井雄です。


今回、自己紹介ということで書こうかと思いましたが、


マイスタイルコーディネーターとは?
僕自身とは?


についてはブログ内や多方面で書いているので、今回はまた違った自己紹介を書かせて頂きます。

ブログはこちらからご覧下さい。



奥さんのことは各SNSで触れているので、今回は祖父と祖母、娘に触れつつお話しさせて頂きます。


(あれ、親は(笑))


何も無いところで会話する

娘が何も無いところを見て笑う。

リビング、風呂場、寝室と何も無い空間を見て笑う。


何も無い、いや見えないのは俺だけなんだろうか?


思えば、俺も何も無いところを見て会話をしていた。



見えないのは周りの人だけで、俺には人がはまるはずの無いところにいる、
お婆さんに話しかけていた。



俺自身も覚えているし、祖母もその光景はよく思い出せるという。


俺が会話をしていたのは祖父母の家に飾ってある遺影の人だった。


話している相手が曾祖母だったことは、小学生になったときに母から聞いた。


俺が生まれる数か月前に亡くなったそうだ。



ひ孫が生まれるのをとても楽しみにしていながら、この世を去った。



俺はこの話を思い出し、じいちゃんが娘に会いに来てくれたんだなと感じた。



娘が奥さんのお腹の中にいるときに、じいちゃんは他界した。



後2か月で産まれるときだった。



俺の中でじいちゃんに娘の顔を見せられなかったのは、残念だったと今でも思う。



ビジネス、結婚、俺が後少し早く行動していれば...


後悔まではしていないが、少し悔しい。


俺自身を構成する要素の中での祖父は大きい。

祖父は俺をよく色々な大人の場所に連れて行った。



大人の社交場

赤ちょうちんの居酒屋やミラーボールやカラオケ付きのスナック。

居酒屋や当時のスナックに連れて行けば、今ではSNSで「副流煙が」と叩かれてしまうだろうが、俺自身も何事もなく育っているし、30年以上前のことなので、目をつぶって頂けると幸い。


俺自身、子供を副流煙の溢れる場所に連れて行く親を見かける度に、何を考えているんだ。と思うほど親父になった。



祖父に居酒屋に連れて行ってもらうことは、当時幼稚園児の僕は楽しみだった。



祖父は煙草とビール以外に必ずイカの塩辛を注文して、必ずくれた。


あ、幼稚園児に塩辛って、問題あるかもしれないので、真似はしないで下さい(笑)


様々な大人の社交場に連れて行ってもらった記憶があるが、お気に入りの大人を感じる場所があった。



大人の味、ジャムパン

祖父母の家から自転車で5分ほど行ったところにあるパン屋さん。

祖父母の家に泊まったときに、朝早く起きられたときは、連れて行ってもらえる楽しみの場所。



祖父の自転車の後ろに乗り、支えてもらいながら向かう。



朝早くなので、一通りはほとんどないが、揺れる自転車は少し落ちそうで怖い。


恐怖と同時に、なんだかいけないことをしている高揚感もあり、普段は感じない心の変化を乗り越えた先に、大人のパン屋さんに辿り着く。


駄菓子屋のような雰囲気の場所に到着後、僕は真っ先にジャムパンを手に取る。



いわゆる町のベーカリーのジャムパン。食パンにたっぷり塗られた甘いイチゴジャム。



あの紅白の彩りは朝早く起きて寝ぼけ眼の俺の目を覚ますのには、誘惑的な輝きだった。



甘酸っぱいイチゴが好きでは無かった僕もこれだけは喜んで食べた。
単純に甘かったから。



甘いジャムパンにありつけるまで、じいちゃんの煙草が香るセーターと、往復揺れる自転車の恐怖を乗り越えた先に、大人の誘惑がある。



じいちゃんとジャムパン

ジャムパンを見るたびに祖父を思い出す...

というようなチープな思い出では無く、俺が大人を感じた初めてのことを教えてくれた祖父に憧れつつ、もう届くことの無い煙草の煙った背中に会えないことが寂しいだけ。


今日も娘が何も無いところで、笑う度に、娘に会いに来てくれてるんじゃないか。


そう、想像してしまう自分がいる。


葬式の日に、一番最後にお墓を後にするときに、娘の画像と動画を見せた。


ばあちゃんに会いに行く前に、まずじいちゃんに娘の成長を見せに行こうか。

吸えない煙草は持っていけないし、ジャムパンを持って行ってもしょうがないから、代わりにじいちゃんが好きだったウヰスキーを墓の前で飲もう。



今日も娘が何もないところで笑う度に、じいちゃんを思い出す。




あとがき

思ったよりも長文になってしまいました。俺自身の特徴が入った文章にはなったのかなと感じます。



じいちゃんは突然頭の中に血液が溢れて意識が無くなりました。


自転車に乗っているときに、母から電話があり、嫌な予感がしたなあと思ったら、母からじいちゃんが倒れたことを聞かされました。


その日のうちに駆け付けたところ、じいちゃんは意識不明で2日後にこの世を静かに去りました。


この状態になることは誰も気付くことが出来ない状況だと、病院で先生や看護師さんが教えて下さいました。


ですが、じいちゃんが死んでから、ばあちゃんが

「自分がもっと早く気付いていれば」

と、悲しんで泣いてしまっている日々が多くなってしまいました。


俺が今回noteに残しておこうと考えたことの一つがばあちゃんのためです。


なんかさ、昔、パン屋あったよね?

じいちゃんと俺行ってたじゃん。そのときのじいちゃんのこと、書いたんだよ。



俺がじいちゃんとの思い出の話を残していると聞いてくれると、ばあちゃんは喜んでくれないかなあと思って、今回書きました。


おじいちゃんやおばあちゃん子な方、ばあちゃんが喜んでくれるので、シェアとかして頂けると幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?