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何事も継続できなかった自分にnoteが魔法をかけた話

私には「文才」と「継続する」という才能がない。
神様が授けてくださらなかったのかもしれない。

幼いころから「字」というものにアレルギーがある。
その中でも「活字」でつくられている教科書、小説をはじめとしたあらゆる本、新聞。
超絶嫌いだ。

だから今までイメージである絵や写真、漫画やアニメなどで色んなことを吸収してきた。
社会に出ても尚、できるだけイメージで受け取り、イメージで伝えてきた。

でも最近、なんだか「活字」に抵抗感が無くなってきていることに気づいた。

毎朝父が読んでいる「新聞」に少し目を通している自分がいたからだ。
あれほど嫌いだった「活字」。
自分でもびっくりしている。

それはnoteを書き続けることで生まれた産物としか思えない。
しかもあれほど「継続」できなかった私が、なんとこの1月は3日か4日しかお休みしていない。

これがnoteマジックなのか・・・

もしかしてnoteに魔術師が住んでいて、ネット回線を通して・・・というのは冗談としてもnoteに魔法をかけられたのは本当かもしれない。

noteには超絶シンプルな機能しかない。

これが一番私を変身させた。

フォントの大きさや色を自由に変えられない、CSSやHTMLもいじれない。
他のブログサイトなどでは見られないシンプルさ。

今までは言ってみたら「見た目」勝負だった。
タイトルの装飾ってどうやんだ?とググってはCSSとかHTMLとかいじっていた。
そうやって「見た目」に拘りだすと止まらない。

やっとこ苦労してCSSできたーーー!

ブラウザで確認するとレイアウトがズレてる・・・。

「あーーー!!!」(💢)

ガラケーのパカパカを逆から真っ二つに折って壁に投げつけたくなる。
(チョイスが古いよ)

CSSやHTMLがいじれてしまうから、そこにフォーカスが行き「見た目」だけに時間をかけてしまっていた。

そうなると、肝心の内容が全然進まない→書けていない自分に自己嫌悪→見た目も中々キマらない→やりたくなくなる、という負のループを繰り返してしまうことになる。

それこそが「継続できない」敗因だったことをnoteはサラッと粋に気づかせてくれた。

なんということでしょう・・・。

余計なことが排除され、「見た目」に拘らない分、本来の文章(内容)に注力できたのだ。

こうしてずっと書きたかった、夢だと思っていたイラスト付きのブログも続けられている。

なんということでしょう・・・。(2回目)

とは言え、まだまだ活字(文章)に不慣れな私は、noteに書くにあたって心に置いているものがある。

一番最初のころに、私はnoteに書くことをやめてしまった期間があった。
そのときに自分に問いかけ、ガチガチだった自分ルールを見直して、超絶ハードルを下げた。
それが下記のルールだ。

=====

☑ 短い文でもヨシとする
☑ 誰にも忖度しない
☑ オチがなくてもいい
☑ 上手く書こうとしない
☑ 丁寧語になったり、タメ口になったりすることを気にしない
☑ 支離滅裂、話が飛んでも気にしない
☑ 起承転結?そんなことどうでもいい
☑ 誤字脱字?そんな日本語ない?それも個性だということにする
☑ とりあえず<今>書きたいことを書けばいい

=====

超絶ざっくり言うと
「他人の目(スキの数とかも含め)を気にしない、自分だけの成長記録(メモ)を残すだけ」ということ。

これを心に少し置いておくだけで
「毎日自然と書きたくなる」のだ。
そしていつの間にかに書くことが楽しくなっている自分を発見する。

それがnoteの魔法だ。

次はどんなnoteの魔法にかけられるのだろう。

とても楽しみである。

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