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年越しそば、カウコン 男性育休記67/68

鳥もも肉を1枚。300gくらいの大きさで十分である。折角だから良い鶏肉を買うと良い。妻は鶏皮が苦手なので剥がして、判別できるように大きめにカットしておく。ほかの肉は一口大に切る。

椎茸は1パック、普通サイズなら6個入り、大きければ4個でも良い。可食部を追求するものとして、イシヅキは先っちょだけ切り落とすが、残りの大部分のイシヅキは傘の部分と同様、3mmくらいの薄切りにする。

大根と人参。人参は中サイズを一本、大根は人参の長さの半分くらいで良い。それぞれ皮を剥いてから、人参は細い部分は半月切り、太い方は4等分の銀杏切りにする。大根は全て銀杏切りで良い。皮は、きんぴらを作っても良いが、今日はおかずが多い。泣く泣く捨てる。

「パパ、いっしょにプラレールしよ」

「パパ、ごはん作ってるから、ママと遊ぼう」

リビングから、妻と子の会話が聞こえる。振り返ると、2歳児は妻と遊び始めている。0歳児は電動バウンサーに揺られながら私のことを見ている。

息子2人のことは好きだが、実は子ども全般のことは好きでは無い。

若い頃はよく「芳川さんも自分の子どもを持つようになれば、よその子どもも可愛く思えるようになりますよ。断言します」なんて言われたが、2児の父になってなおその兆候はない。よその子どもについて、基本的にはシンプルにうるせーな、と思っている。

材料を大きい鍋に投入する。めんつゆを水で割って、合わせて2リットルくらい入れる。割合は、ラベルに書いてある「かけそば、かけうどん」の時のもので良い。

火をつけて、沸騰するのを待つ。

「ママはじゃあゴードンして」

「おれさまはゴードンだぁ!急行列車のお通りだぁ!」

妻と2歳児は楽しそうだ。0歳児も、あきゃあきゃ言っていてご機嫌だ。

鍋の中、熱の対流で回転する椎茸を眺めながら、妻と結婚した頃を思い出していた。

「子どもができにくい病気なんだけど、気にしない?」

「気にしない。芳川家はもともと崩壊しているから跡取りをなんてプレッシャーは全くないし、おれもそもそも子どもが好きでは無い」

子宮内膜症という病気を説明した妻に対して、私はそう答えた。気を遣ったのではなく、本心だった。

そうして私たちは結婚した。

妻側の家族の希望に合わせて親族だけでハワイで挙式をした。芳川家も崩壊しているなりに、呼んでみたら意外と揃った。10年ぶりくらいに会った私の父は、酒癖が最高に悪いので念のため気を遣う達人である妹を隣りに置いておいたが、ずっとブツブツと呪詛のような言葉を口走っていたらしい。妹に後で聞いたら、妊娠している義姉に「奇形児が生まれるぞ」などと暴言を吐いていたらしいが、店のBGMと妹の遮断によってどうにか妻の家族側には聞き取られては居なかったようだ。やはり、呼ぶべきではなかったのだ。

沸騰した鍋から灰汁が浮いてくる。それをおたまで丁寧に掬って、捨てる。灰汁がなくなるまで、繰り返す。

バウンサーを見ると、0歳児はまだ私を見て笑っている。手を振ってみる。ああ、なんとも、正に赤ちゃんだな。

結婚して3年くらい経った頃だろうか。めずらしく真剣な顔をした妻から、「やっぱり、ほんとうは、子どもが欲しい」と打ち明けられた。欲しいならじゃあ、作ろうか。私はそう答えた

それから、いくつかの困難なことがあったが、3年少し前、幸いにも不妊治療をしようかと思う直前に妻は妊娠した。今回の0歳児と同様で切迫早産だったため、妻は正常分娩ができる週まで入院することになった。陣痛を止める点滴をし続けないといけないのだ。

そのときは、管理職として忙しくなってきていた自分の仕事をしながら、帰りに妻の入院先に寄って、洗濯物を持って帰る生活をしていた。私自身、親になるということがまだ実感がなく、単純に仕事、家事と猫の世話、妻の補助とで忙しなくしていた。仕事中にそれをボヤいたこともあった。必要なものも買いに行く。妻も励ます。大きな決断をする。部下の相談にも乗る。ただ、目が回るほどに忙しかった。

「芳川さんは、幸せそうでいいですね」

突然、同僚女性から言葉をかけられた。善意で、祝って言っているのではない。目線を合わせず突然吐き捨てるようにかけられた言葉に、嫌味を言われているのだと気づくのに少し時間がかかった。心の奥が冷えていく。冷や水をかけられるような、というのはこういうことか。

彼女は、過去に不妊治療を試みて、おそらく数年かけた上で諦めているらしい。はっきりとそう聞いたわけでは無いので、らしいとしか言えないが、会社の飲み会などで酔っ払うと私のところにきて「私たちには、子どもが居ないという共通点があります!仕事を頑張りましょ!仕事が子ども!」とよく言っていた。私は子どもを望んでもいなかったけど諦めていたわけでもないし、そもそも仕事にも執着が無いので面食らったが、まあ酔っ払いの言うことだと思って流していた。ただそれはおそらく彼女にとって、発露した本音なんだろう。

子どもができた、と言うだけで傷つく人が世の中には居るのだ。鈍感な私は、彼女のおかげでそれをようやく実感した。

それからというもの、聞かれない限りは私は外で子どもの話をしなくなった。

見渡してみれば、結婚して長くても子どものいない友人は10組以上いる。そのうち半分からは妊娠についての悩みも聞いた。男性に問題がある話も聞いたし、女性の話も聞いた。明るく諦めた話も聞いたし、その話題に触れない人もいる。

私は次第に外で飲まなくなっていった。一人で育児をしている妻に気を遣った部分もある。妻から具体的な圧力もある。だが、子どもの話をしたら良いのか、しない方が良いのか分からない。しないなら話すことがほとんど無い。したらしたで、白けることもある。私はどんどん飲み会から遠ざかっていった。激減した飲み会は、コロナがやってきていよいよゼロになった。

飲みに行こうが行くまいが、子どもができようができまいが、人生は寂しい。そんなことに気づいてしまった。それなのにまだ気づかないふりをして、私は最近また外に飲みに行きたいと切望している。あるいは、切望している振りを、している。

鍋から灰汁が出なくなった。火を止める。
冷凍そばを2人前レンジで解凍する。

「ごはんできたよ」

妻と私と2歳児で2人前のそばを3等分する。2歳児はけっこうそばを食うのだ。その上から、鶏肉、椎茸、大根、人参の入ったつゆをかける。鶏皮を私のお椀に全て入れる。このつゆは明日、正月からはお雑煮の汁として転用されるのだ。大学生の頃からかれこれ20年近く、私は年越し蕎麦とお雑煮を兼ねたつゆを作っている。

買っておいた大きな海老の天ぷらを暖めて、作り置きの副菜を並べて、紅白歌合戦を見ながら年内最後の夕食を食べる。

「カウコンの時間は頼むね」

妻は紅白歌合戦の中でも、ジャニーズ事務所のグループが出てくるタイミングだけ集中して見ながら、そう言った。

カウコン。妻と結婚してから覚えてしまった単語の一つだ。毎年大晦日の深夜から東京ドームでやっている、ジャニーズ事務所総出のカウントダウンコンサートのことである。それぞれのグループが別のグループの代表曲を歌ったり、このときだけの混成ユニットで歌ったりして、ファンはとても盛り上がるのだ。妻はこれを、「リアタイ」、つまり録画でなくリアルタイムで見ながら、LINEでジャニオタの友達と感想を投げ合いながら見たいのだ。

なので、2歳児の寝かしつけは私に託された。0歳児は抱っこして乳を飲んでいれば起きていてもおとなしいので、妻が見ている。やがてその時間になり、無言で2歳児を寝床に連れていく。

「ねぇ、ママは?」

ベッドで身体をはげしくねじりながら私に聞いてくる。妻の興奮が伝播したのか、何か楽しそうなことが起こると妻の雰囲気から察してしまったのだろうか、もう11時半を回っているのに、2歳児は興奮していて寝そうにない。

「ママはオシゴト」

「ママはどこ?」

ママはリビングでテレビを見ているが、心はリビングには無い。お仕事と推しごとをかけた私の説明は2歳児には意味不明だったろう。しかし私は妻にM-1の恩がある。たとえ2歳児が泣いても、ここを通すわけにはいかない。

興奮した2歳児が私の顔面の上でブレイクダンスのように回転し始める。メガネはどこに飛んでいっただろうか。またフレームが歪んでしまってないだろうか。

「パパであそぶ!」

パパと、ではないんだな。それならそれでいい。私は2歳児を持ち上げたりおろしたり、肩車したり下ろしたり、筋力の限りを用いて遊び始めた。

「5!4!3!2!1!…」

遠くリビングから、ジャニーズの誰かがカウントダウンする声が聞こえる。もうすぐカウコンの中継も終わるだろう。もう少しの辛抱だ。私は2歳児をまた抱えて、高く放り投げた。

「あけましておめでとう」

「きゃー!」

天井近くから落ちてくる2歳児を抱き止める。

その重さを、全身を使って受け止めた。







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