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日和とフィーカ〜3杯目〜

That's for Sure

 窓際に座り、好きな曲を聴きながら読書をしている。空は晴天で見渡す限り雲ひとつなく澄み切った青。ガラス越しに差し込む光は僕を含む休日の街を照らしている。ああ、以前にもこんな場面があった気がするなと思い出し、何となくプレイリスト外の曲を検索、再生。冒頭に流れ始めるピアノの音と共に当時の光景が頭の中で再生される。
 何年も前の話、何かきっかけがあったかなど全く覚えていないが、ジャズの出来合いのプレイリストを必死になって聴いている時期があった。作曲者や演者の背景などは全く知らないけれども、何かその雰囲気を求めていた時期があったのだ。有名な曲やマイナーな曲なんかの区別もなくとりあえず流れてくる曲を耳で受け止め、それが体をめぐっていく。
 僕の中でこの曲を、と言われればビリー・テイラーの「That's for Sure」を挙げる。にわかという言葉すら当てはまらないほどのライトなリスナーの好みだが、確実に良い曲なので、もし良ければ、以降はこの曲をBGMとして読み進めていただければ嬉しい。

Jazz&Coffee M&M

 クリスマス、年越しという2大イベントを終えるも、まだまだ浮き足だった街の喧騒の中、僕はといえば暇を持て余していた。寂しい人間などと思われても仕方がない。ことごとく友人達を捕まえられないまま、たった1人で神戸の街を闊歩していたのだ。可哀想な目で見てくれる他人すらいない。誰の視界にも映らない僕は、その瞬間、確実に透明人間となっていた。
 夕方の予定までの時間をどう潰そうかと歩きながら考える。いつもの店に行って店員さんと話でもすればよかったのかもしれないが、なんとなく「今までの場所には行きたくない」という甥っ子顔負けのイヤイヤ期が発動してしまっていたのである。こういう時の自分の気分というものをどうにも上手くコントロールできず、意固地になり、何かから逃げるように何かから目を背けるように、別の場所を求めていた。
 何も考えないまま、予定のあるエリア近辺の店に入ろうと三宮を出発。今後足を運んでみようとカフェや居酒屋などをチェックしながら、どこもしっくりこないまま元町を通過。そして目的地もはっきりさせないまま、取り敢えず南京町を迂回して(人が多すぎるので)、海側へと下っているとある店が目についた。ジャズ喫茶である。
 ジャズ喫茶、響きには聞いたことはあるが、特に自分の守備範囲と違うからと思いながら特に気に留めたことはなかった。しかし、丁度この頃ジャズを聴き始めていた僕は、店内へと足を運んで見ることにした。その店を目にした瞬間に何故かそれまでのモヤモヤとしていた気分が、ぱぁっと晴れたのである。自分の中の自分が今日はここだと決めたのだと感じた。

 店内に入り、着席までの足取りは、さながら風俗初体験の童貞のようであったことと思う。特に案内もされることなくご自由にと言われ、窓際のテーブル席についた。
 普段のカフェとはどこか違う。BGMとしての音ではなく、重たい音がレコードで流れている。先にも言ったように、ジャズのことなんかカケラ程も知らない僕は取り敢えず流れてくる音を耳というよりも身体で受け止める。耳なんかでは収まりきらないのだ。再生されている曲は聞いたことのない曲ばかりだった(店内にいた2時間程で聴いたことのある曲は1曲も流れなかった)。
 ある曲が始まり、その曲は僕や他の客の身体を通過し、店の装飾や壁や天井に染み入って終わり、また次の曲が始まっていく。音と人とが混ざり合いながら、その店の歴史として刻まれているのだろう。

 考えていた煩雑なことは全てが音として溶け出していく。とても大切なことを悩んでいた気がするがそれもこの瞬間においては形とならなかった。この空間では言語を必要とせず、思考ですら言語化する必要すらなかった。むしろ言葉として形にしてしまうと僕の中で何かが白けてしまうとさえ思った。
 一頻り楽しんだ後にふと、「どんなことでも相手に伝わればなぁ、このメロディのように。」と思うと同時に現実へと戻った僕は次の予定のために席を立った。ジャズは決して僕を引き留める事はない。その音は僕の背後で小さく鳴り続けている。

 店外へ出ると陽が少し傾いている。この数時間で何かが変わった訳ではないが、止まってないで動き出せば、昨日よりはきっといい日になるはずだろう。不思議とそんな確信があった。
 周りから聞こえる車の音や歩く人たちの笑い声。なんとなく余韻を身体に閉じ込めていたかったのでイヤホンで両耳を塞ぐ。そして再生するのはいつもの出来合いのジャズのプレイリスト。最初の曲はとても大切だ。と言っても何を選ぶかなんて悩むまでもなく、とっくに決まっていた。

「That's for Sure」


〆。

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