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つけてみそ、かけてみそ

旅とイベントタイトルについて

今週末からちょっとした旅に出る。旅と言っても用事をつくったので、そのついでと言っては失礼だけれども、会いたい人に会いに行くという僕の中でのバカンスだ。
明日は仕事とボーカルレッスンと後日のイベントの作業、明後日は広島の横川でイベントに出演するため一日中拘束される。そして出発はその翌日と、着実にリミットは迫っている訳なのだが準備はいつもの如く全く進んでおらず、今この時も「なんかnote書きたくなってきた」と久々にスマホをポチポチと叩いているといった次第である。皿洗いすらしてないことにここで今気付いたから急いで洗い物を済ませた。僕は偉い。とてつもなく偉い。
ちなみにこのバカンスは去年も突発的に開催されて、関東に突発的に出向き、久々の面々と顔を合わせた。なんだかあっさりと会いたい人が捕まっていき、久々とはいってもこんなものなのかと逆に感動も何も無く、懐かしい話や年月を重ねたなりの会話を交わしたりと、過去を振り返るだけじゃない膨らみのある時間であったと思う。
なるほど、これは悪くない。こんなテイストでまたフラリと出掛けてみたいものだと思っていたところ今回の旅の決定をした。

新しい出会いと同じだけ過去の出会いからも得られるものがある。その性質は全く別物だ。広島での出会いは新しい出会いしかなく、それも偶然面白い集団に囲まれてそのエッセンスを僕は食べ続けている、嗅ぎ続けている。僕が名古屋や神戸で出会わなかった味や匂いがそこにある。僕はなんともだらしなくヨダレを垂らし続け、自らの腰をあげて動き出すことになった。よく聞く言葉で言うと刺激を受けた。のだ。本当にバンドメンバー、監督には感謝している。
僕の旅は会いたい人に会いに行く旅と行ったように、何年も付き合いのある知人とただ雑談をし、酒を酌み交わし、酔い潰れて迷子になるような旅だ。迷子にはなるのは僕ぐらいだが。目新しさはそこには無いかもしれないが、ただ過去を舐め合うのではなく、歩いてきた道のりによって熟成されたその味を、舌に乗せ、鼻腔を潜らせ、味わうのだ。何とも奥ゆかしく、かつ心の奥から熱くさが込み上げてくる味であろうか。

僕は何度も何度もこれを味わいたくてかつての拠点を訪れる、かつての知人に会いにゆく。人は様々なベクトルの違いはあれどもその加速度の方へと進んでいるので、現在とてもその距離は遠く感じるかもしれない。しかし、もしかするかとそのベクトルの兼ね合いでまた交差する時が来るかもしれない。そんなことがあれば素敵なんじゃないかな。

なんてことを考えながらつけたイベントタイトルがある。何のイベントか分かった人は天才です。


〆。

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