人生を無限大に楽しむんだぜ
生活をしていく上で、様々な娯楽に手を出していると「人生の成功」なんていうキャッチコピーを目にすることが多い。子供の頃はテレビの中で、少し大きくなってからは書籍の煽りで、最近ではスマートフォンのアプリの広告やSNSのアカウントで、表現に多少の差異はあるけれどもそれらは同じようなフレーズでそれを謳っている。
人間の思考回路というのは、なんと不思議なものだろうか。誰しもが明確な形が無いものを形のあるものとして想像しようとする節がある。また、さらにタチが悪い事に、その形というのは大抵、他人の想像したものを形も分からないのに自分の想像で形を作り、自分の頭に植付け、あたかもそれが一般的な考え、モノであると思い込んでしまう。
どうしよう、上手く説明ができている自信が驚くぐらい無い。
あれだ。ジェスチャーゲームや伝言ゲームみたいに考えてみればわかりやすいかもしれない。何か一つの事柄を(ゲームでは相手に伝えるが)勝手に想像して、勝手に解釈してが繰り返されるアレのことだ。
説明の上手い人がいたとしても受け手が飲み込めなければ伝わらないし、そもそも説明が間違っていれば伝わらない。そんなことが繰り返されながら普遍的でない物が擬似的に形として成り立ってしまう。これはもはや信仰的なものと言ってもいいんじゃないだろうか。
さて、成功とはなんだろうか。もちろん普遍的な答えはなかなか浮かばない。僕の中ではいくつかの言葉が浮かんでくるがそれは正解という訳では無い。ちなみに僕の中での成功の1つは楽しいと思えることです。
楽しいというのもまた難しくて、どういう楽しさかっていう所にも繋がってくる。しかし、楽しいは楽しいである。字面ではこの上なく楽観的なことは否めない。
朝起きて布団から出たくなくて絶望に見舞われたとしても、朝食と共にコーヒーを口に運ぶ。その瞬間は小さな幸せであり、僕にとっての小さな楽しいである。そしてそれは小さな成功である。
とてもくだらないでしょ。このくだらなさがたまらなく良いんだ。
そしてひとつの楽しいを終えると、次の楽しいに向けて歩を進める。限りなく果てしない道のりである。足を停めれば終わってしまう。しかしそんなことを背中に感じながらも足の動く限り楽しいを追求していく。それをやり切れた時僕は成功する。
この世の中には、大きな資産を築くこと、有名になること、歴史に名を残すこと、など様々な成功と呼ばれる要素があるが、それを自分が果たせたとしても、それによって自分が成功するか、成功したと思えるかどうかはまた別の問題なのではないかと思う。
成功への一番の近道は、自分を自分の目で見つめ直して、自身の成功を創造することだと言えるのではないか。他人が与える成功の定義というのはただの、「それってあなたの感想ですよね?」です。
そんな今回の文章もただの僕の感想に過ぎないものであるのですがね。
〆。
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