不登校息子の卒業式

一人息子は小学校六年生、本日卒業式でした。

二年生の1学期に北大阪地震、夏に酷い台風があり、自宅の修繕にあくせくしてようやくおちついた2学期半ばの運動会終了後あたりから息子が登校を渋り始めて、うつの初期症状のような様子をみせるようになりました。

当時私がお世話になっていた漢方医に息子も診てもらい、漢方医の勧めで3学期2月から3ヶ月間保護者判断で休学させることにしました。

3ヶ月でかなり元気を取り戻したものの、通学復帰は嫌がり本人の意思で不登校生活に突入。

登校を嫌がるものの、復帰したい気持ちはあるらしいのでそれならばなるべく復帰しやすい立ち位置を維持しておかなければなるまいと、健康診断や遠足などイベント行事には参加させつつ基本的に不登校…というスタイルで迎えたコロナ禍。

コロナ対策の休校が解けて分散登校になっていた期間はスムーズに登校したものの、体制が通常登校に戻ると息子は再び不登校に。

四年生3学期末になって、校内の別室で過ごす別室登校を始め、五年生六年生は別室登校を基本に休みたい日は休む気まぐれ不登校児に。

五年生林間学校はコロナ禍により中止、六年生修学旅行は無事に開催、息子は「海に行ったことがないから海を見たい」という動機でスムーズに修学旅行へ参加。

3学期、保育園時代からもともと一月二月三月の時期は行き渋りが増える息子は週1〜2の登校ぶりに。卒業式に関しても練習に2回参加したところで、卒業式を嫌がり始め…あと1週間というところで連続完全欠席。意気消沈というか、卒入学の様々なプレッシャーに潰れかけ。

担任の先生もあれこれ心配して、息子や私の希望を尋ねてくださるが、担任は私の息子でもおかしくないほど若く、卒業学年を担任するのも始めてのヒヨッコ先生。先生の心配ぶりや不安感が息子の負担をいや増す悪循環。

ふだんから別室で息子と過ごす時間が多くあるのは担任よりも教頭先生と教務主任の先生で、どちらも私と世代も近く、教師としてもベテランなら、親としてもご自身に大きなお子さんがいるベテラン。ベテラン先生たちが陰に日向に息子と若手先生をサポートしてくださり…

卒業式前日、電話にて教務主任から息子に「卒業式なんか出なくていい。キミにとっていちばん大切なのは卒業式ではなく、ちゃんと勉強することのはずだろう?明日の卒業式はお休みしてかまわないし今日の練習も出なくていいから勉強しに来なさい」と仰った。そのひと言で息子は憑き物が落ちたかのように意欲を取り戻し、そそくさ着替えて登校。

息子から電話を引き継ぐと、卒業式について「卒業式は別室でzoom参加、式典直後に校長室で個別に卒業証書授与という形はいかがでしょうか」とのご提案。

まさかそんな手があるとは。

息子は保護者席で私の隣で見学したいだとか言い出しており、それはさすがに私が嫌だわ、せめて体育館(卒業式は体育館で行われる)の二階通路からこっそり見学にしようよなどと親子で話し合っておりました。

担任の先生とも息子はこのように言っており、私としてはさすがにこう…とぶっちゃけて相談していましたが、担任も息子の気持ちを尊重したいとは言ってくれるものの他に良いアイデアがあるかといえば何もなく「他の先生とも相談します」という展開のなかで、教務主任から校長室個別卒業式が示されたのでした。

いやさすがにそんな対応があるとは私としては思い付きもせず、たとえ思いついたとしても保護者の立場からリクエストする勇気はとても出ないアイデアをご提案いただいて私は両手を上げて賛成。

息子本人も「それがいい。それやりたい」とスッキリした表情。

本日、私と夫は体育館での式典に参列、息子本人は別室でzoom参加。

息子には別室専門の非常勤講師の先生が付き添ってくれました。卒業式の日に非常勤講師の出勤はないはずですが息子のためにお手配くださったものと拝察しております。

zoom中継も、必要なシステム機材はコロナ禍があったからこそ整備されたものであり、また本日のzoom中継については息子一人のために急遽撮影と配信を整えてくださったはずで(だって他の子全員式に出席してたもん)、ほんとうに至れり尽せりしてくださいました。

さてお友達たちの退場を拍手で送り出したところで急いで校長室へ移動。最後のホームルームまでの隙間時間で個別卒業式をやらねばなりません。

校長
教頭
担任
教務主任

の四方に加えて、

三年生四年生を2年連続担任してくださった先生が校長に証書を渡す役として参加くださり、さらに五年生時に担任してくださった先生が「はいはい!来賓やりまーす!」と滑り込み参加(笑)

あとは私たち両親と、主役息子本人の即席ミニ卒業式が開催されました。

ちなみに一年生二年生時に2年連続で担任してくださった先生は現在他校に転任して息子の小学校にいません。いらっしゃればあの方もきっと来賓として並んでくださったことでしょう(笑)

息子が卒業式に無理して参加しても、隅っこで私と一緒に見学することになっても、あるいはまるっきり欠席しても、どれを選んでも息子の心に深い傷が残る卒業になることを親として覚悟しておりました。

前日になって、まさかの土壇場逆転どんでん返し。

本人も先生方も両親も三方良し感無量の晴れやかな卒業と相成りました。

私の小学生時代は不登校という言葉はまだなく登校拒否と呼ばれていました。
学校側にもそんなこどもたちへの対応のノウハウは当然まだ何も蓄積されておらず、担任教師一人が自分の学級生徒をすべて一人で責任を持つ時代でした。不登校児へのサポート体制がないばかりか、教員同士で相談し合えるようなサポート体制もありませんでした。

あれから三十余年の月日を経て、息子が小学校生活を送ったこの6年間、不登校を始めてからは特に教育現場が昔とは大きく変わっていることを目の当たりにしてきました。

時代が変わっていることを体感してばかりでした。

不登校は大変だし、まだまだ中学もどうなるやら全く分からないけれども、でもでも小学校生活を振り返れば普通に登校する子だったならば経験できない幸せに恵まれてきたのだと、ありがたいことこのうえない感謝ばかりの卒業式を迎えられて、私も息子もほんとうに幸せ者だなと感じています。

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