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【短編小説】読んでいない漫画の原画展

 地元の友達がこっちに遊びに来ることになった。
 好きな漫画の原画展が俺の家の近くで開催されるから、泊めてほしいそうだ。
 よくわからなかった。
 他県住まいとはいえ、日帰りで往復出来る距離だし、大きな会場だとしてもそう時間のかかるものでもないはずだ。
「どうしてなの」
 電話口でそう発した俺の言葉の意味を、友達も理解出来ていなかった。
「大丈夫、ちゃんと夏休みは取ってる」
「いやお前の仕事の心配じゃなくて。ついでに観光したいの?」
「しないけど」
 知ってた。
 根っからのインドア派だ。
 学校行事の遠足ですら、なんやかんや理由をつけて参加しなかったレベルの奴だ。
「じゃあなんで泊まるの」
「日替わりの入場特典があるから。ホテル代は浮かせたいし。食費はちゃんと自分で出すから」
「ヒマワリ?」
「んんんんん、着いたら説明する!」
 切りやがった。
 通話嫌いなのは知ってたけど。
 
 とりあえず、部屋の掃除をした。
 あと、友達が寝るスペースの確保。
 新品の布団の開梱。
 一人暮らしの部屋に別の布団なんてなかったから、買い足した。
 ひととおり終わった頃に友達が到着した。
「綺麗な部屋! 眺め良い!」
 友達がベランダから身を乗り出す。
 インドア派だが、筋トレ好きでもあるからスタイルはびっくりするくらい良い。
 背筋が発達しているのが服越しでもよくわかる。
「あーそうね。眺め良いよね」
「いやどこ見て言ってんだ」
「俺んちで他に誰もいないんだからなんぼでも言いますよ。スケベな体しやがって」
「劣情を抱かれても困るんだが……そういう気持ち?」
「どんな情も抱いてないから安心して。それよりも状況を手短に説明して。大好きなのはヒマワリの種だったの?」
「違う。原画展に行ったら日替わりで違う絵柄のトレカがもらえる。7種類あるから日参する必要がある」
「エグい商売。会場は?」
「まめ……いもん?百貨店」
「豆に井戸の井に門って書くんだろ? まめいど百貨店って読むんだよ……めっちゃ勤務先」
「そーなの?」
「言ったはずなんだけどな」
「ふうーん、じゃあお仕事してるところ、こっそり見てやんよ」
「やめときな。不審者扱いされたら俺が困る」
 俺の職業は警備員だ。
 豆井門百貨店に直接雇用されているわけじゃない。
 警備会社に所属していて、配属先がそこというだけだ。
「原画展ってさ、原作者とか、アニメに出演してる声優さんがお忍びで行ったりとかあるだろ。警備員的にはそーゆーのわかったりする?」
「漫画家って顔出ししている人のほうが少ないよね。まずわかんない。声優はケースバイケース」
「というと?」
「現場で喋ってる声が聞こえるかどうか。特に女は化粧の仕方でかなり印象変わるし、特定は難しい」
「声優は詳しい?」
「そういうイベントの警備をしたことがあるから、見たことあるひとなら多分わかる。元々アイドルのライブの警備したかったんだよ俺は。それがまあなんの因果か高齢者の多い百貨店勤務になっちゃったけど。お仕事だからこなしてますけど」
「そりゃ大変。すごいね。なんかちゃんと都会で社会人してるんだね」
「ちゃんとかどうかはわかんないけど社会人なのは確か」
 飲み物すら出していないことに気づいて、オレンジジュースを投げて寄越した。
 ちゃんと受け取ってくれる。
 相変わらず動体視力が良い。
 この運動神経、俺よりもよっぽど警備員向きなのに。
「そのトレカ、欲しいなら俺も原画展行こうか」
「いいの? チケット土日はもう完売してるから、行くとしたら平日の昼回とかになるが」
「え、そんな舞台みたいなシステムなの?」
「人気あるから。ある程度入場制限はある」
「そうなのか。普通に仕事終わったタイミングで行こうと思ってたけど、非番の日のほうが良さそうだな」
「じゃあ、このマンションの下のコンビニで都合のいい日に発券して。俺と一緒に行こうとかしてくれなくてもいいから」
 友達は問答無用でチケット代をオンラインで送金してきた。
「全然知らない漫画の原画展、ひとりだとつらいんですけど」
「読めばいい。俺、タブレット持ってきたからいつでも読める」
「既刊は?」
「40巻」
「えっと……無理」
「じゃあ現場で堪能して」

 インドア派でも、体を鍛えていても、体調を崩す時は崩す。
 友達に解熱剤とスポーツドリンクを渡して、俺は家を出た。
 原画展の初日、まあ俺は普通に仕事なんだが、昼休憩の間にざっと見て回る方式で7階の展示場に足を踏み入れることになった。
 驚いた。
 少年漫画の原画展なのに、女性客が多い。
 これは盗撮とかスリの被害も多いかもしれない。
 原画展は客が原画に気を取られるうえにカメラを持っていても不自然じゃないから意外とそういうことが起こる。
 それと、あとから知ったがこの日は女性人気No.1キャラのカードが配布されていた。
 だから余計に女性が多かったらしい。
 警備員の制服姿で回るわけにはいかないから、ちゃんと私服に着替えている。
 だけど。
 それでも。
    どうしても原画より、不審者がいないかどうかを見回ってしまう。
    このままじゃ俺が不審者だ。
 男のソロはこういう場所だと悪目立ちする。
 普通の客を装わないと―
 と思っていたところで聞いたことのある男性の声が聞こえた。
 友達があの役はあの人だと話していたのを覚えていて良かった。
 アニメで主人公を演じている声優がいる。
 姿は見えないが、わかる。
 最低でも盗撮は警戒するべきだ。
 俺で気づくんだから、界隈に詳しい人なら絶対気づいている。
 ここでなにかあったら見過ごすわけにはいかないし、俺の仕事に差し障りがあるが、そんなことはどうでもいい。
 今、この場にいるそれっぽい年齢層の男性は俺を含めて4人だ。
 近くまで行ったら確実に特定出来る。
 俺はそれとなく他の男性客に近づいた。
 女性を盗撮するのは圧倒的に男性が多いから、結果的にそっちも警戒することになる。
 絶対、ここから出たら疲れる。
 精神的な意味で。
 それでもいい。
 あんなに友達が楽しみにしていたイベントで、初日からトラブルがある事態は絶対に阻止したい。
 不審に思われない程度に聞き耳を立てた。
 かなり親しい女性と一緒に来ている。
 姉とか妹じゃない。
 彼女か、公にはしていないだろう嫁か、なんかそういう関係性だ。
 女性のほうもどこかで聞いたことがある声だ。
 同業者か。
 だとしたら、ずいぶん大胆じゃないか。
 こんな、衆目に晒される場で堂々と。
 それとも、みんな原画のほうに夢中で気づかないんだろうか。

 帰宅後、友達にカードを渡した。
 傘を持たずに家を出て雨に降られたうえにダッシュしてきたから、着ているものを全部脱いだ。
「今の俺は一切隠し事をしていない見た目だけど、全部言ってもいいか?」
  言ってから激しく息切れした。
「楽しい話じゃなさそうだな」
「まあね」
「聞きましょう。まず体を拭け。素っ裸で息荒げてるとかスケベが過ぎる」
 水を飲みながら、絶対濡れないように厳重に包んで持って帰ってきた図録も渡した。
 それを一刻も早く見たいだろうに、友達は咳をしながら俺の言葉を待ってくれた。
「描く作品そのものも、主人公も俺は好きだけどってどういう意味だと思う?」
「ちょっと含みのある言い方に聞こえる」
「それを打ち明けている相手が彼女か嫁ってことは?」
「ここだけの話って感じがする」
「だよな。ここからは俺の類推」
「聞きましょう」
「お前の好きな漫画を描いている漫画家と主演の声優の間になんらかの感情の隔たりがある」
「あるでしょうよ」
「驚かないのか」
「売り出したい声優を主演に据えざるをえなかったり、それが原作者的には不満だったりとかは普通にあるだろ。みんなおおっぴらには言わないだろうけど。逆に原作者のほうがシンプルにイヤな奴パターンもあるかも。俺はコレに関しては両方だと思う」
「……マジ?」
「マジ。泊まりがけで原画展を堪能したいくらいには好きな漫画だけど、コンテンツがデカければデカいほど大小様々なトラブルはあるから。そこはこっちが大人になって飲み込まないと」
「なんか、ちゃんと社会人だね」
「褒めてくれてありがとう。あと、変に気遣わせてごめん」
「いや、そこは全然いいんだけど……具体的にはどういうこと?」
「まず、漫画家のほうは他誌の担当編集と揉め事を起こして移籍してきた程度にはトラブルメーカー体質。アニメ化が決まった時も古株のファンはそこを心配していた」
「そうなのか」
「主演声優のほうは単純明快。女関係が派手」
「そっちだったかー……誠実そうな喋り方だったから、あれ全部演技か」
「全部、その時その時で本気かも。厄介だな」
「俺が気張ってたのバカみたい……」
「そんなことない。俺は嬉しい。こうやってちゃんとおみやげも持って帰ってきてくれて……スケベな体も晒してくれて」
「は?」
「自分のほうがよっぽどスケベな体してるくせに、よくあんなこと言うよな。ここんちにいる間にもっとスケベにしてやろうか」
 エロい冗談でごまかす癖が子供の頃から変わっていない。
 楽しみにしていたイベントに参加出来なくて、憶測でしかなかったものがなんかマジっぽくなって、傷ついていないわけがない。
「制服脱いでる今の俺のさらに上のスケベがあるの? どんな感じ?」
 で、もっと言わせようとしたら真っ赤になる。
 変わってないな。
「冗談だよ。具合が良くなったら、仕事中の俺を見に来てもいいよ。うちの制服結構かっこいいから」
「どのへんにいるの?」
「駐車場のあたり」
「車で行かないから無理だよ」
「おのぼりさんなんだから道聞くふりでもすりゃいい。俺もちょっとの間なら茶番に付き合う」
「ふうーん。それはスケベだ」
「制服プレイはスケベだろ」
 良かった。
 笑ってくれた。

 友達は鍛えているから、次の日には元気になった。
 そして、残りのチケットと休暇をフル活用で目的のトレカを全種類手に入れて帰っていった。
 惰性で過ごしていた勤務も、友達がいる間はちょっと楽しかったし、最終日には軽く打ち合わせをしていた制服プレイを実行した。
 周りはみんな他人で、俺たちが本当は友達同士なんて知らないで、初対面同士を装う。
 友達はコンビニでプリントアウトした紙の地図を俺の手に滑り込ませながら、軽く手を触ってきた。
 いたずらっ子みたいな笑みで。

「スケベなうえに間抜けかな」
 友達が使っていた枕の下から、トレカが一枚こぼれおちた。
 俺が初日に手に入れたもので間違いなかった。
 急いでそのことをメッセージアプリで知らせたら、次に行く時まで保管していてほしいとお願いされた。
 近いうちにまた別の漫画の原画展があるから、その時回収するとも。
 その時は、一緒に行きたい。
 読んでいなくても、その話をしている友達を間近で見ていたいから。

前日譚↓

 


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