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NHKプラスに救済され、Khruangbin を聴きながら自分を取り戻す夕暮れのバスルーム

ETV特集「ぼくは しんだ じぶんで しんだ 谷川俊太郎と死の絵本」を見た。そうしたらひとに伝えてみてもいいかもしれない、という気になったので、すこしあることについて文章を書こうと思った。

番組はNHKオンデマンドで視聴可能 ※配信は2023年2月9日までです

私の心の最下層に近い話です。陰の気に引っ張られたくないわ、という方はまたいつかお読みくだされば。

ここからいなくなりたいという気持ちがずっとある、ということを以前も note に書いた
これはさかのぼれば12歳前後の記憶にたぶん起因しており、私は12歳のときに自室の窓から飛び降りようとしたことがある。

飛び降りられなくて結局やめてしまったけれど、そのときのことは今もはっきり思い出せる。家の庭一面にしきつめられた、ごつめの灰色の砂利。物干し竿の銀と庭用デスクの黒が、余計に寒々しかった。窓からそれを見下ろしながら、自分がいなくなったらどうなるかを考えた。けっこう長いこと考えて、夕方の風が冷たかった。

最終的に「だれも悲しまないし、世界はなにも変わらない」という結論に至り、こころがものすごく冷たくなって、飛び降りることをやめた。今思えば「それは飛び降りる理由になり得るのでは」という感じだけれど、当時はそれが悔しいような、なんだかわからないけれど「今じゃない」という気になった。

でもそこからずっと、いなくなりたいという気持ちにとらわれている。積極的に自ら命を絶とうとは思わないがしかし、という感じである。当時親には理解してもらえず、周りに話せるひとはいなかった。

今回谷川さんの新作絵本のドキュメンタリを見る気になったのは、シンプルに谷川さんが「子どもの自死」というテーマにどう向き合うのか気になったからだ。『二十億光年の孤独』を著したひとがどんな作品をつくったのか、またその過程も知りたかった。
これほどまでに丁寧につくられているのか、と驚くような内容だったし、特に「ジェンダーロールを固定化するのではないか」という懸念を取り上げた部分には配慮を感じた。
また絵本をつくるうえで、絵にゆだねられたものの大きさというか、偉大さがよく分かり、すべての「絵を描くひと」に対し敬意で身が引き締まる思いだった(自分の中に絵本制作の構想があるため)。

だけれど一番自分に響いたのは、子どもの自死の「理由」をめぐる部分で、とくに東京自殺防止センター理事・村さんのお話を自分のこころに留めておきたいと思った。

(自殺防止のための電話相談において)「わかるよ」っていうのは要るのかなって思う。
「わかったよ」って言ってもらいたくない気持ちの方が私は強いと思う。
死にたい気持ちがどこから来るのか、私は聞かないけども
生きられないって気持ちになってるんだと思うんですね。

生きることができるなら生きたいと思ってるのだけれど、気持ちが「もう生きられない」となっているっていうことを受けとめるのが、大事だと思っています。

※番組内でのお話を一部編集し抜粋しています

これを聞いて私は涙が止まらなくなってしまった。本当にその通りで、別に理解してもらえるとは思ってないけれど、そういう気持ちでいるのだということを、ただ受けとめてほしかった気がする。でも面と向かって誰かに話せることではなく、そのまま自分のこころの下のほうに沈んでいった気がする。

飛び降りられなかった日から1~2年ほど経った中学生の頃、聖書の授業で「自分は何歳まで生きられると思うか」をクラス全員が席順に一人ずつ言っていくという、謎の課題があった。なんでそんなこと言わせるかねと思いつつ、私は素直に「30まで生きられないんじゃないですかね」と発言した記憶がある。

教師からしたら「こいつ中二だな」って感じだったかもしれないけれど、私は真面目に言っていたし、ある種SOS的な意味合いも込めていたかもしれない。でも結局「お前、もうちょっと長くてもいいんじゃないか」としか返されず、クラスメイトにも「早wwwww」って笑われて終了した。そのとき、いつか理解されるという期待を一切捨ててしまった。

結果30歳になってもしぶとく生きているけれど、私はいまだにこれを思い出す。

絵本の最後のページには、編集者からの「死なないでください」というメッセージが書かれている。

はっきり言って、「死なないでください」はなにも効かない。じゃあなんと言ってほしかったのと問われてもそれはとても難しくて、完全にひとによるし、私のように答えのないひともいる。

だから谷川さんがメッセージをと求められて「一般的にメッセージは言えないですよね」と返す様は、私にはとてもしっくりきた。

小学生の頃、遠方に住む伯母から「今から死ぬ」と電話が来たときはそらもう動転して必死に止めた。でもその後の自分の経験を経て、父親に「死にたい」と言われた夜、私は本当になにも言えなかった。祖母が「死んでしまいたい」と繰り返していたのも、ただ静かに聞いていた。

ときどき、「あのとき何かを言えばよかったのだろうか」と考える。父は当時すでにアルコール依存の沼から出られず、祖母は家族に完全介護をされる日々と自らになんの誇りも持てない、それぞれそういう精神状態だった。
ふたりとも実際のところ、死んでしまった方が楽になれて、ふたりのためかもしれないとさえ思っていた。
実際祖母に関しては亡くなったとき、母と伯父と「やっと楽になれたね、良かったね」と心からの声をかけた。彼女の苦しみは、死をもって癒えたと今も信じている。

私はあのとき自分が「死なないで」と言わなかったこと、むしろ否定せず「そのほうが楽かもね」という方向にいたことを後悔していない。父も祖母も自死は選ばなかった(なお伯母は健在)。

でもそれは結果のひとつでしかないし、正しかったとも思えない。正しくなかったかもしれないという気持ちは一生なくならない。だから「死なないでください」という言葉だって、誰かには効くかもしれないし、それが必要そうなひとには躊躇せずそう伝えるべきだと思う。

でももし周りに死を考えるひとがいたとして、それを伝えられたとき「なんで?」と「死なないでよ」をパターン登録しているのであれば、ちょっと考え直してほしい。そのひと自身を見つめて、それを言われた自分自身を見つめて、それぞれ受け止めてから、次を考えてみてほしいと思う。

「子どもの」というテーマからははみ出してしまったが、そんな感じです。

最新の私の状況としては、別段変わらずであるけれども、最近やっと「自分がこころをつくして仕事に臨めていないのでは」ということに気づき、別途「こころをつくしたいこと」を発見し、大海原に漕ぎ出したところ。

身近なひとびとからは一時よりずいぶん明るくなったと評されており、私自身もできることがまたひとつひとつ見えるようになってきて、人生充実してきたのでは、という心境です。

私は心理学部卒というだけで色々な話をされやすい身なのかもしれないけれど、カウンセラーの資格など一切取っていないので、あくまでも私個人としてしか対応することができない。

でももし話し相手がほしいときは、いつか私の創作の種にされるかもしれないという可能性を念頭に置いた上で、いつでもご連絡ください。

絵本「ぼく」詳細はこちら


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