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5日目:言語と社会/4h

先週、前職の先輩と食事に行った。元々受験の業界で働いていたんですが、一応、指導科目はともに国語なので、いま日本語教育の勉強してます〜という話をし、受験勉強頑張ります宣言をしてきた。

この情勢下、人と会ってやる気高まる〜ということ自体、久しぶりの出来事で大変楽しくありがたかったです。がんばろ〜

ということで時間がたっぷりある日曜日、カスタマカフェにやってきた。

講義レジュメを家に忘れました

カレー1杯目を食べて、さーて始めるぞーと思ったら、講義レジュメがなかった。取りに帰れない…仕方ない…やりたくないけどノートを取りながら講義を観るしか。

やむを得ません

ノートもいいよな

書くことは理解を構築することそのものであり、これはこれで良く頭に入るんだけど、教材の中でもそこそこのボリュームを占める講義レジュメが勿体ない気がしてしまう。あと、このノートはカスタマカフェの快適なデスクだから書けた。18ページ書いてました。

メリデメを常に考える

「言語と社会」での教えは、日本語教師としてどんな物事にもメリデメがあるという視点に立つこと、であった。常に客観的に、柔軟に。コレはわたしはわりと得意なほうだと思う。

多文化共生社会は実現するか

あとこの章をやっていてすごく思うのは、普段「あのコミュニケーションはおかしいよな」と薄々思うことのほぼ全てに理由があるということです。この勉強をしていると、日本の国語教育の限界を強く感じる。

ゆとり教育だ入試改革だ、生きる力だ社会人基礎力だなんだと紆余曲折をみてきたけれども、多くのことは国語力で説明がつくような気がしてなりません。

多言語社会では言葉が通じる、意味を構築するという事象は所与でなく、日々体験するし、学ぶんだろうな〜。日本社会、特に企業内社会は、おそらく既にカエルを茹で始めている…。

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