映画「アマデウス」(1984)はマジで見たほうがいい
才能を見抜く才だけを与えられ、しかし私にはそれしか与えられなかった。
なんという……惨い話か……。初めから終わりまでずっと泣きそうだった。唐突なタイミングで映画アマデウスを見たのだけど、これがまあ。どうにもならないぐらい苦しくてそりゃあ自殺でもしなくちゃ耐えられないよなあと死に向かうのを応援してしまった。
モーツァルトの作る楽曲の真髄は音楽家にしか分からない。どのような創作物であれそうなのだ。自らが懸命に絞り出し、研究し、創る側に立っているからこそ彼らは自らの手の及ぶ限界を知っている。
モーツァルトの楽曲がどれだけ緻密に計算され尽くしているか、その音符を編み出すことがどれだけ難しいか。その楽譜が──人の域を超えている、ということを、ただの凡人であれば理解すらできなかった。
それが解るのは星に手を伸ばした者だけだ。ものごとを創出するという昏い宇宙に踏み込み、常人ならざる視座を得た者だけ。しかしだからこそ「自分は絶対にそこに及ぶことはない」という確信をも抱いてしまうという……こんな悲劇があるだろうか?
圧倒的な才能を前にして私たちはどうしたらいいのだろう。神が与えたのでもなければ説明がつかないくらいの奇跡的な音だ。サリエリはその音楽を「神の声を聴いているようだった」と評する。比喩でも何でもなく、彼はモーツァルトの音楽を通して神そのものに触れたのだ。
天才ならざる者には二つの選択肢しか残されていない。屈服して愛するか、抵抗して憎むか。宮廷で自分のマーチを改変して演奏されたとき、その瞬間にサリエリにとっての屈服は訪れていたのだ。この人には敵わない。自分は敗けた。間違いなく。
せめてモーツァルトが「神に愛された子」にふさわしい振る舞いさえしていてくれたら。あるいは神の化身。そうすれば彼もアレは自分とは産まれながらにして異なる存在だと諦めもついただろう。しかし実際にはどうだ? 神に似るどころか人間としては自分にすらはるかに劣るではないか。あんな奴が神の寵愛を受けていると言うのなら、神は信じるにも値しないろくでなしに決まっている。
彼の才能をこの世の誰よりも愛するからこそ苦悩する。そう誰よりも。「大衆」への嫌悪がここでも強く作用している様子が見られる。大衆はモーツァルトの緻密に考え抜かれたオペラを愛さない。サリエリには高尚な芸術の追求ではなく、自分が大衆向けに、そこに迎合したオペラを書いている自覚がある。
それは仕方のないことだが、だからといって高尚な芸術が否定されて良いわけが無い。大衆オペラはソレと比べて程度が低いという前提によって初めて、存在して良いのだ。それなのにモーツァルトの作品を誰も理解せず、媚びた自分が最高の作家だと称賛される矛盾。それは紛れもなく屈辱として彼の心に跳ね返ってくる。
サリエリにとってモーツァルトの行いは全て神の行いと同義と見えている。神が女とはしゃいで暴れまわっている。神が自分を嗤う。神が大酒を飲んで酩酊している。許されない。そんなことあっていいわけがない。この苦しみは察するに余りある。彼が十字架を燃やしたのは、ひとえにモーツァルトへの憎しみゆえだった。
「駆け込み訴え」の世界線のキリスト/ユダに近しい部分もあるか。神の子がほんとうに神の子としてあれるうちに殺してやらなくては。しかしこちらでも同じだが、その崇敬する対象に人としての親愛を向けられるということは、かくも残酷なことか……。
病に倒れたモーツァルトが「君に嫌われていると思っていた」「許してくれ……」と力なく笑うシーンが本当に心苦しくて泣きたかった……。そうまで純粋な心根を見せられたら裏切れなくなる。サリエリにとってはあらゆることがままならず、とうとう憎みきることも愛し尽くすことも何ひとつ叶わなかったのだ。
それにしてもあの写譜のシーン。ものすごい熱量で怯えまくってしまった。天才が神からさずかった音を今まさに紡いでいくさま、それはまるで人が目にしてはならない神聖な儀式に立ち入っているようだ。サリエリも同じことを感じている。しかし星に手を伸ばした者として、彼の才能を誰より理解する者として、それに必死で食らいつく。時折モーツァルトの生み出す言葉の人智を超えた世界に圧倒され、自分の及ばなさと卑小さを思い知らされ、それでも星の美しさから目を逸らすことができない。泣きたいほどだ。そこへ立ち入ればまぶしさに灼かれてしまうのに、他のだれもその星を見つける目を持っていないから、自分がやるしかないのだ。
サリエリはモーツァルトに手を伸ばし灼かれることを自らの責務のように感じている。神から与えられた才能を見抜くというだけの才。そのために産まれてそのために死ぬのだ。
終盤、「私の歌は演奏されなくなった」という言葉でまた心が締め付けられる思いがした。どれだけ足掻こうと神の采配からは逃れられぬ。人間として失格した者に天賦の才が与えられ、誠実に生きてきた者が凡庸であることも。才ある者が早く死に、そうでない者が無為に永らえることも。神はかくも無情で、この世に残すべきもの、残すことの叶うものは何もない。あとにはただ、切なる静寂が残るのみ。
とても頑張って生きているので、誰か愛してくれませんか?