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孫娘が欲しい!

年齢のせいだろうか

はたまた、息子さんが重過ぎるからか

最近、急に孫娘が欲しくなった
(かなり、真剣)

私は、40で息子さんを産んだ

それから7年
今更、自分が子どもを産む気にはならない

息子さんを産む時にさえ
死線を彷徨い
気が付いたらERだった
(出産前から十数時間の記憶がない)

「あれ?ここどこだ??
 なんか管がいっぱい付いてるなぁ
 あ、、、そう言えば出産中だったハズ
 あれ??お腹の子どもはどこ??

 (お腹を触る)

 いない、、、」

となって初めて側にいた医療関係者らしき人に
子どもの安否を尋ねたと言う。。。

故に、息子さんとの初めての出会いは
ERの人にもらった
産声入りの記念写真だった

その写真はブレていて
不細工で不安になったものだ

失礼だが『え?マジ??不細工じゃね??』
と思ってしまった

産声も録音されていたが
医者や看護婦がやたらバタバタしている音が
バッチリ録音されている

母はERへ息子はNICUに入れないといけない
といった状態でも記念の写真をとり
産声をカードに録音したと思うと
なかなかのプロ根性だ

産声を聞けなかった私への
気遣いかもしれないが。。。。

息子さんは予定日から2日過ぎて産まれた
妊娠当初から悪阻もほぼなく
徹夜をしたり、椅子の上で寝たり
それまで通りに働いていた
最後の仕事は臨月に入る直前
妊娠中毒もなく順調なマタニティーライフ
出産もなんの相談もなく普通分娩だった

今思えば、まさに英断!
わたしグジョッブだったのは
最初に受診をする時に
実家の側にある大学病院の産科を選んだこと
この病院では、姉が子ども達を産んでいた
何かあるとその病院に行くというのが
我が家(実家)の慣例だった

しかし、検査の後
『妊娠に問題ないので
 自分の好きなクリニックを選んで下さい』
と言われた。

すっかりその病院で産む気になっていた私

『え?こちらでは産めないんですか?』

『こちらは、大学病院なので
 リスクの高い妊婦さんを受け入れているんです』

『はぁ、、、、、』

と帰ろうとしたら

『あれ?あ、、、待って下さい
 あなた出産時は40歳ですよね??
 あ、大丈夫です受け入れできます』

と年齢で合格した

実際は、陣痛が弱く
途中で子癇発作というものを起こし
心肺停止になった

子どもに酸素が行かなくなり
母子ともに危ない状態に

1分を争うような状態で
帝王切開に切り替えるのも
間に合わないような状況
救急車で移送なんてなったら
どちらかの命がなかったか
何らかの後遺症が残ったかも知れない

ラッキーなことに
かなり降りてきていた息子さんは
鉗子で引っ張り出し
私の蘇生や処置などがなされ
なんだかんだで部屋には
20人近い医療関係者がいて
かなり物々しい状況だったらしい

『もう産まれてるかなぁ』と
呑気に仕事帰りで様子を見にきた
こたパパが言っていた(後日談)

その時は、未婚だったので他人だったが
胎児認知していることもあり
状況も飲み込めないままに
いろんな書類にサインさせられたらしい

本当に、恐るべし高齢出産

しかし、私は長年ある疑念を抱いている
医療ミス、、、医者の判断ミス

うち息子さんは、デカかった
3745g 50cm

問題は頭囲だ
新生児の頭囲の平均は32~33cm
うちの息子さんは36.5cm
妊娠後期は、常に頭だけ週数が多かった
気になってはいたが上手く相談できなかった
年齢を考えて帝王切開をもっと積極的に
相談してれば良かったと悔やまれる

出産が大変だったこともあるが
息子さんは男の子なのでめちゃ甘えん坊だ
息子さんと息子さんの趣味に合わせて
一緒に遊ぶ毎日はとても楽しい

しかし、子どもが2人いたら
1人にかけられる時間や体力、財力は
やはり減るだろうと思うと
今の生活で満足している

それでも女の子への憧れがある
女の赤ちゃん、、、
きっと軽くてフワフワ柔らかいんだろうなぁ

ガッチリ体形で33キロになる息子さんに
おんぶだ抱っこだと強請されるたびに
対極にある女の子への憧れが募る

軽いフワフワな女の子を抱きたい

そうだ!孫娘だ!!
孫娘が欲しい!!!

で、最近、ことあるごとに
息子さんにおねだりしている
『孫娘が欲しい!早く産んで!!』

息子さんの反応は
『おれ、女の子じゃないよ』
という真っ当なものから

『50年待って』
(それ死んでるわ。。。)

そして、
『〜してくれたら、明後日孫娘産む』
という非現実的な交換条件や

『それなら、もう孫娘産まない。いいの??』
と言う脅迫まで

様々なパターンで返してくるのを
楽しんでいる

果して、いつ孫娘を抱けるのか?
孫娘を抱ける日は来るのだろうか??