映画マニアでないテレビ屋が職業病全開で劇場版『鬼滅の刃〜無限列車編〜』を分析(壱)

この前5回目の煉獄vs猗窩座戦の
観戦を終えたのだけど
ここ何回かは割と職業病的に
煉獄vs猗窩座戦の前までを
見るように意識した

実は、私はテレビ屋でしてw
20年近くテレビ業界で働き
映像を編集する仕事
に就いてました。

はい。文字を読むのが苦手なので
動画は大好きですw

この職業病というのは簡単に言うと
カット割りで映画やテレビを見る癖のこと

あまり映画の内容が進まない時は

・カット尺を数える

・画の寄り引きのバランスを見る

・映像的な効果を見る

などなどですw


で、

この劇場版『鬼滅の刃〜無限列車編〜』

実景が凄く綺麗なのは1回目から
充分わかっていた
のだけど

綺麗すぎる分、登場人物との落差に
なんとなーく違和感があった

マンガやアニメは全くわからない
ズブの素人なんだけど。。。

なんとなく、バリバリ太い線で描かれ
デフォルメされたギャグ部分が
声のうるささも相まって苦手だった。

画像1

ああいう表現はマンガならスルーできるし
まぁ、テレビ画面で見るには耐えられる
ただ巨大なスクリーンと大音響だとうるさい

本当に、語彙が乏しいんだけど
〝うるさい〟としか表現のしようがないw

さらに冷静に見ると
デフォルメはほぼされてないが
ギャグ以外でも線は太めに描かれている
ということに気付いた。
(ギャグシーンほどではないけど太い)

画像2

画像3

たぶんこの太めの線が
二次元の登場人物とCGのような質感の背景を
完全に分断している違和感
のようなものかと
現段階では推測している。

しかし!!

この超漫画的な作画は
〝夢〟の部分に多用されている
ように思う

そして、
夢のパートは登場人物のキャラクターを
観客に印象づけるのにとても功を奏している


一方で、

夢のパートは登場人物が変わらずに
突如別のストーリーが始まるので
夢か現実か差別化が難しい
画つなぎになる。

伊之助の夢はキャラクターが動物化するので
夢だなとわかりやすい。

善逸の夢も背景が桃になるし、
禰豆子が竹咥えてなく、喋ったりする
から
夢だとわかりやすい。

炭治郎の夢も場面は炭治郎の生家となり
鬼舞辻に殺されたはずの家族が生きている
から
夢のシーンとわかりやすい。

しかし

煉獄さんの夢だけは、夢らしさが全くない

柱になった事を生家の父に報告に行く
ほぼ過去の回想でしかない。
ただ、ここで
慎寿郎さんと千寿郎くんが初顔出しだし
ここで2人との
家族との関係性を出しておかないと
杏寿郎の背負うモノが見えなくなってしまう

というストーリー上外せない重要なシーンだ。


後に、夢パートは制作陣が

〝ギャグパート(伊之助&善逸)〟
〝現実パート(炭治郎&杏寿郎)〟


と区別していた事を知った

なるほど! 

この4つの夢パート
場面転換に用いられた手法を見ると
面白い事がわかる


炭治郎の夢で多用される場面切り替えは
雪を利用した地吹雪とホワイトアウト

善逸の夢への切り替えは
『落ちて行く 落ちて行く 夢の中へ』を
水中に落ちて行くイメージとして描かれている

泡の動きと水の揺らぎでなんとなく 
質感が出ているのかなぁ〜と思う
深い眠りへと落ちていくイメージが
見事に可視化されている


このイメージは
善逸の夢から伊之助の夢に代わる時も
上手く使われていた

落ちて行く善逸の顔からzoom back
善逸と伊之助の2s
そして、伊之助の顔のアップ

となるカット割りだった

どちらも、いや猪はわからないけど
善逸は明らかに目を閉じ寝ていた

ふたりが同じ術にかかっているのが
伝わるし、眠りの深さも感じられる


一方、煉獄さんの夢への渡し

現実である無限列車の中で眠りこける4人
眉間に皺を寄せる煉獄さんの顔へのズームイン

というテレビにもありがちな切り替えだった


もしかしたら、


煉獄さんの夢が夢ではなく
現実に起こった事だと思わせる為に
あえて善逸や伊之助の明らかに
『ここから夢ですよ』
と線引する演出と違えている
のかも


現実に近い夢を見ている炭治郎の時も
無限列車の中で涙流しながら寝ている
炭治郎の現実の姿
が夢の間にはさまっていた
印象がある(流石に記憶が曖昧だけど。。。)

また、原作にはないけど場面転換に多用され
効果を発揮していたのが列車の室内灯

画像4

いかにも、何かありそうだと心理に働きかける
『ジジジ』というものも相乗効果があり
暗転すると夢の中に

そう!夢の中にシーンに変わるのです。

原作でも、映画を2回見ても
“夢”であると気付かなかったシーン。 


それは、、、


煉獄さんが突如列車に現れた鬼を
見事に瞬殺するシーン

煉獄さんのカッコ良さに圧倒される
シーンであるけど、上にあげた
場面や違う人物が出たりする夢でなく

全く同じ無限列車内であり
登場人物も煉獄さんと炭治郎たち4人
乗客そして、、、鬼。
となんら現実と変わらないその前に列車に鬼が列車に出ると言う話を
煉獄さんがしているので
余計に鬼が出た事に違和感を持つ人も
いなかった
のでは?

かくいう私も2回目に
パンフレットを買うまでは
すっかり現実と思っていました
w

上にあげた煉獄さんの柱報告の夢が
煉獄さんの家族関係や個人的な少し闇の部分
であるとすれば

この室内灯から切り替わる夢は
鬼殺隊の最高位の一人
炎柱・煉獄杏寿郎のかなりいいプロフィール
になっている。

(詳しくは以前書いたからここでは省略
 気になる人は下の記事を読んでねw)

というように
この無限列車の最大のキーワードである
“夢”を上手に使って
キャラクターたちの個性や魅力、考え方
強さや過去さらには信条までをも伝える事に
成功している
と私は思うのですよ。


映画マニアによる批評としては

物語の進行状況をいちいち口頭で説明するのはちょっとしんどい

状況説明の台詞や感動シーンでの音楽が過剰

という意見があるようですが
上記にした通り
キャラクターや信条までを説明でなく
シーンの中から感じ取れるような工夫
していると思うんですよ

印象的に口頭の説明が多いと感じるとしたら
たったの2シーンしか思い出せませんw

1つは呼吸の派生の話で入るCG
もう1つは魘夢の無意識領域の説明
かなぁと思うんですよ。


このCG引用問題って
テレビ番組でも難しい選択ではあるのですが
しかし、理解をしておいてもらう必要がある
まぁ、積極的選択ではないけど
致し方ないかなぁ〜

ならばカッコいいCGがいいなぁ〜
みたいなw

ただ、今回の映画に関して
呼吸の派生CGはカットしても本筋には
さほど影響はないと思いますが、、、。

もう一つは、やはり
欠かすことのできない無意識領域の説明
ですね。これはわからないと。。。

魘夢の血鬼術や切符などの説明は
確かに魘夢の一人語りが結構長く感じた

それでも語り過ぎてて観客に
余白を与えないって程のものではないと。。。

で、忘れた頃と思いますが 
背景の綺麗なまでの現実感と
線が太く2次元的な登場人物の話
に戻すと

私が1回目から好きなのは
煉獄vs猗窩座戦とそれ以降のシーン

無限列車編の鑑賞を
勝手に煉獄vs猗窩座戦観戦と呼ぶほどw

で、注目してほしいのが


上記した太めの線による人物と背景の
断絶感?キャラを貼り付けた感が
全く感じられなくなっている
んですよ!! 
煉獄vs猗窩座戦はっ!

コレ気のせいでないです

まぁ、背景も暗闇という設定なので
質感まで細かく見えないのもありますが

キャラの、煉獄さんや猗窩座の
〝線〟が違うんです!!(マジで!)

はい!気になってきましたね!?
週末は是非、煉獄vs猗窩座戦観戦に
劇場へGo!

反響良ければ(弐)も浮かれて書くかもw
読みたい人は♡気軽に押してね!