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感情から離れた非戦を考える

先日、義父がメンバーである「憲法いいね!の会」が主催するお話し会に参加してきた。
2004年から2009年まで内閣官房副長官補として安全保障・危機管理担当していた
栁澤協二さんのお話を聞く会で
2月に同会が主催したイベントの追加として開催されたものだった。

2月のイベントに参加するまで栁澤さんのことは失礼ながらというか
コッカイやナイカクのおじさんたちに全く興味を持てずに生きてきたので
存じ上げず、予備知識もなくお話を聞いたわけで。

東京大学法学部卒、防衛庁入庁、防衛庁運用局長、防衛庁人事教育局長、官房長、防衛研究所所長、内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)などを歴任した、
なんて聞くと国防の強化や憲法改正の必要性なんかを説かれそうなものだけど、
そうではなかった。

栁澤さんは「非戦の安全保障論」を訴えている。
無駄な戦争であったイラク戦争、そしてそのときの自衛隊派遣を経て、
地政学的に、論理的に、非戦を提唱している。


私は幼い頃からずっとものや資源を奪いあったりするために、
戦争して殺しあうような世の中に生まれたことが心底いやだった。
そんなことするなら、みんな死ねばいいと思って生きてきた。
今もそう思う。
奪う相手や敵とする相手に、自分と同じように死ねば悲しむ家族がいること、
そんなことを想像できずに、
金や権力を使って、もっともらしい大義名分をつけて、
傷つけて殺して奪って。
幼稚園で相手の嫌がることをしないように、と教わらなかったのか、と思う。
子どもたちが我をなくして喧嘩していると、
ほらそれが戦争の入り口だよ、と私は思うしそう言ってしまう。

戦争はいやだ、平和にできないならみんな死んだらいい、と思う。

それは感情のかたまりで、
私の非戦はそれまで感情だった。

反戦デモをしたり、反戦につながる署名を集めたりする活動や、
日本を代表するかのように犠牲になっている沖縄の人をおもうことも、
やはり感情なのだと思う。
人間は当たり前に感情で動く。

と同時に、
戦争もやむなし、防衛力をあげなければ、という
昨今の論調もやはり感情で動いている。
ミサイルが海に落ちれば、
台湾有事は日本有事だと聞けば、恐怖と怒りがわき、
その恐怖と怒りに安心という薬を塗るために、
リアルに戦場にはいかない人の「戦う覚悟」という言葉に賛同し、
本当に使えるかどうかわからない武器に予算をどんどんあてることが妥当だとし、
島民避難なんて言葉を漠然と聞く。

私たちはいつも
いやだ
こわいよ
やられてたまるか
さきにやってやる
まもりたい
たべられないのはいやだ
という感情がベースにあって
そこに愛国だの平和主義だのと
とってつけて自分が正しい、としている気がする。


もとは感情から考えつつも
戦争論を独自に深め、抑止力とはなんなのかを追求し
その先にある感情に基づかない栁澤さんの「非戦」の話を聞き、
私はこれはたくさんの人が聞くといい話だ、と感じた。


戦争というと、遠い話しのようだけど、
私たちの毎日の暮らしの中でも、
その感情から離れて「そもそもどうなんだ」と物事を考えることはすごく有効で、
子育て、パートナーとの関係、仕事での人間関係に悩むこと自体が減る。
そしてその思考をもってすれば、
日本に戦争はできないし、世界において果たせる役割があるし、
今の政府の外交が絶望的だということに気づくのではないかと思う。


お話を聞いただけでご著書は読んだことないので、
栁澤さんの著書を勧めることはしないけれど、
こちらに栁澤さんの活動がまとまられているようなので、
貼っておく。


右だの左だの、知らない。
そういうふうに敵対したり自分の正当性だけにしがみついてる暇があるなら、
感情から遠ざかった風景を見たらいいと思う。


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