蟻の気持ちがわからない

台所にたまに蟻が出没する。

体長2mmほどの極めて小さな黒い蟻が、一匹、どこからともなく現れて、グレーのガラストップコンロの天面を、右端から左端へ音もなく歩いていく。

時に、木製の水屋の奥にある珈琲の粉を取ろうと扉を開けた瞬間に、或いは、シンクで食器を洗っている瞬間に、棚の縁やシンクの縁を歩く彼らとエンカウントする。

わからないのは、何故かいつも一匹か二匹で出現する。列を作るでも群れを成すでもないのだ。一体彼らはどこから来てどこへ帰って行くのだろう。
数年前に、和室のサッシから上がってきた蟻たちは部屋の隅に列を作って往復していたので、アリの巣コロリ的な薬剤を設置して対処した。けれど、今回は月に数匹見かける程度で、駆除剤を置くにも決め手に欠ける。

最初にエンカウントした時は、

「駆除せねば。薬局にいかねば」

と即座に思った。ただ、数日様子を伺っていると、見掛ける数があまりにも少ない。ふと、

「見つける度にティッシュでギュッとして倒すのも、薬剤で間接的に倒すのも、同じく私の殺生であることに変わりないな」

という思いが湧き上がった。結果、ここ半年ほど、見つけた際に私が倒すことでやり過ごしている。

ちなみに私は虫を倒すのも触るのも得意ではない。

昆虫自体は格好いい。バッタの写真集も持っていた。ただ、バッタを捕まえたり蝶を捕まえたりというのは、華奢な体を壊してしまいそうで怖い。あとは、予備動作もなく思いも寄らない方向へ飛ぶので慄く。虫のそばに私がいる時、はたから見ると表情が変わらないので平気そうに見えているけれど、その実、突然飛び立っても慄かないようにと心を無にして備えている。

たとえば、娘が小さな頃、外を歩いていると、道行く先に手の平より一回り程大きなサイズの蛾が羽を広げた状態で、行手を阻む罠さながらに落ちていた。

「動かないねぇ、どうしよう」

娘が私を見上げて言った。私は一瞬の怯みも見せまいと瞬時に心のシャッターを下ろし、淡々と身をかがめた。足元の蛾をじっと眺める。蛾は人間が至近距離にいるにも関わらず微動だにしなかった。

「動かないねぇ。多分、死んじゃってるんだね」

私は傍に落ちている大きな枯れ葉で蛾をすくった。葉っぱの上の蛾はやはり動かない。それを砂の地面のあるところまで運んで、そっと置いた。

「生き物は死んだら土になって、他の生き物の栄養になるからね」

と、淡々と娘に伝えた。

そのように、蟻を倒す際も心のシャッターを下ろして無の境地になっている。
それにしても、蜘蛛やカメムシは逃がすのに、蟻を見つける度にそっと外へ逃さないのは、矛盾に満ちていると我ながら思う。外で蟻を見つけても眺めるだけなのに、家の中で見つけると駆除対象になるのは、私の身勝手なのだ。

こうして書いている今日も、珈琲の粉の入った瓶の上を歩く一匹の蟻と出くわした。なにゆえ君はこんな苦い味のするもののそばにいるのだ。甘いものが好きなのだろう。と、思わず問いたくなる。返らない山彦を待つような気持ちだ。蟻が出没する理由が全くわからない。

どこからともなく現れる、蟻の気持ちが今日もわからないまま、日が暮れてゆく。


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もちだみわ
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