5月13日への手紙。

先週、数年ぶりに炭火で焼いたタン塩を食べた。

私は焼肉の中でタン塩が一番好きだ。いつか三人前か四人前をひとりで平らげられたなら夢のようと度々想像する。ネギのせのせで櫛形に切った檸檬を絞れば、なお風味が良い。

久方振りの焼肉の旨味に、私は大変満足していた。カルビにもタレが程良く染みていて、軽く炙って口に含めば歯に柔らかく、得も言われぬ味わいだった。それは大層美味しい時間だったけれど、振り返ってみると、時間軸的には先月のことのように思える。

いまは夜の九時過ぎ。バスを降りたところ。
約二時間前の七時にお米が炊き上がった。冷凍保存をするために、軽く結んでラップにくるんだ熱々の白飯のじんとした温度がまだ掌に印象として残っているのに、おむすびをこさえたのが、昼下がりの出来事のように感じる。

昨日荷物が届いた。すぐに開けて中身を組み立ててダンボール箱を潰したけれど、一昨日のことのように思えるし、三日前に自分で前髪にはさみを入れて少し切りすぎたことが一週間前の事のように感じる。

あれから半年過ぎたかと思っていたけれど、まだ三ヶ月しか経っていなかった。

そういうことが、多々ある。

何をしたのかを覚えているのに、時間軸だけがずれていく。或いは、遠い昔のことなのに、最近の出来事のように思い出す記憶もある。

大切な話をした。例えばしんとした静けさの漂う夜にするような、そのときだから出来た話。そのときだから聞けた声。

そういうものはつい何度となく反芻してしまって、過去がすぐそばにあるみたいに錯覚する。

私の中の時系列はあまり整頓されていないけれど、交わした言葉をまだ覚えている。

いまはもうそこにはない時間。いまはもうそこにはいない人々。夕刻を告げる音楽、山際に落ちてゆく溶けるような夕日。

柔らかに交わったものが、時間軸を無視して、いまも印象に残っていく。

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