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こまごまとまとめ

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テキストやトーク、エッセイのような記事などを、あれこれとまとめ。
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記事一覧

力を抜いて漂っている。

ちょっと一息ついている。 抽象的な表現をすると、波間にプカプカと体を浮かべて、手足の力を抜いてダラッとしている。次の波がザブンときて頭から海水をかぶっても息が十分持つように、今は息継ぎをしている。 ここの所、少しパタパタとしていた。大抵、何が起きても、いつものこととして受け流したり、そういうこともあると受け止めたりするのだけれど、今回は想定と全く異なるところから物事が大きく動いた。 予想をしていなかったので、まぁまぁ驚いている。 ただ、何事もなるようになるし、なるよう

何気なく、歌を歌っていたところ

小学校や中学校の、音楽の時間が好きでした。 鉄琴や木琴や太鼓を用いた合奏の時間は、楽器が奏でる様々な質感の音に包まれる感覚が心地良く、また、合唱曲をパートごとに分かれて全員でハーモニーを響かせて歌う時間は、音楽と詞が体の中を駆け巡って心に問いかけたり、雨や風や日差しみたいに歌を全身に浴びる感覚が好きでした。 実家に住んでいた頃は、家に誰もいない休日の晴れた昼下がりに、「野生の馬」や「みんなひとつの生命だから」を、部屋を歩き回りながら伸び伸びと歌っていました。多分、隣家の人は

髪を短くしてみたり。

肩まで伸びていた髪を短く切ってもらった。 なので、ここ数日、玄関の姿見の前を横切る度に、「おや、短い」と視線を止めて、「あぁ、そうだ、美容院へ行ったんだ」と我に返るのを繰り返している。 モノグサなので、一旦短くするとしばらく伸ばしっぱなしになる。前回カットに行ってから数ヶ月の間、後ろで一つに束ねて過ごしていたので、今の髪型の自分のシルエットがまだ見慣れない。 駅前の美容院のソファで待つ間、店内を眺めていた。明るい天井の丸い照明。壁に掛けられた曇りのない鏡たち。その前で談笑

それは小さな別れの日。

雲一つない青空が眼前に広がっていた。 11時45分。待ち合わせ場所に現れた知人は、最後に会った日とさほど変わらない印象をまとって、私の傍らに佇んだ。 風のない好天に恵まれ、温かな日差しを背に受けながら、おのぼりさんみたいにタワーを眺めた。静かにゆったりと話す口調が懐かしくて、遠い記憶が呼び起こされる。会社に入ったばかりの頃に一緒にした仕事のこと。深夜の残業時間中、誰もいない筈の部屋から人の気配がして震え上がったこと。もう随分と昔の思い出話をポツリポツリと交わす時間は、クロー

年の始めに筆を走らす

毎年、一月二日になると親子で書き初めをする。 朝、三人でお重を囲んでお雑煮とおせちをつまんだあと、習字道具を二揃い、部屋にセッティングした。一つは娘が学校の書写の授業で使っている習字セットで、もう一つは私が小学生の頃から使っていたものだ。時々筆を買い替えるものの、硯も文鎮も未だに壊れる気配もなく長持ちしてくれている。 炬燵の横に小さな折りたたみ机を置き、部屋の隅に新聞紙を敷きつめて、墨で文字を書いた半紙を乾かすためのスペースを確保すると、準備はだいたい整う。 まず夫が小

鍵はいつでも開いている。

「妻のパソコンは無駄にセキュリティが高い」 と夫に言われる。 セキュリティソフトの機能が高すぎるということではなくて、起動するまでにひと手間かかるのだ。 私の使っているパソコンは、電源を入れたあと何もせずに行く末を見守っていると、画面が真っ黒なまま固まってしまう。 通常、パソコンとは、電源がオフの状態から電源ボタンを押してそのまま数秒待っていれば、自動的にOSが起動する。もしくは、複数のOSをインストールしている場合は選択画面に切り替わる。けれど、私のマシンはそのどちら

ほろ酔い気分で。

お酒を飲むと顔が赤くなる。 多分体質的に、アルコールを分解する酵素が不足している。一杯目を飲んだだけで手まで赤くなるので、たまにお店の人が気を使って「お水要りますか?」と声を掛けてくれる。 見た目と同じくらい頭の中身も酒に酔いどれてくれれば心地良いのだけれど、酔っている自覚はあるもののどこか醒めている。もうちょっと酔いたいなと思い、ハイボールやカクテルやサワーやビールを続けて飲んでいると、色んな味を楽しめる反面、お腹のほうが先に一杯になってしまって、物足りない。しかしなが

表紙を描かせていただきました。

おはようございます。もちだみわです。 この度、キッチンタイマーさんのエッセイ集の表紙を描かせていただきました!  キッチンタイマーさんはnoteで奥さんの話やご友人の話や日々のことなどをエッセイに書いているエッセストさんです。そこにある物の手触りや感情の温度を拾い上げて、素直な文章を書くことを心に留めて文章を紡ぐ方です。 この程、エッセイを初めて一冊の本にまとめるということで、ご依頼くださいました。 こちらが、Kindle版の本のリンクになります。 2022年に書かれ

波打ち際を、ただ歩くだけ。

波の音を聞くと、夕暮れの海を思い出す。 先輩たちと三人で遠出して立ち寄った砂浜は、波音だけを響かせて静かに暮れなずんでいた。駅で待ち合わせた頃には青かった空も、もうすっかりオレンジ色に染まっていた。私はズボンの裾を捲って、深い藍色の海水に素足を浸した。波がなめらかに足首を撫でて、砂粒が足の裏をくすぐる。脱いだシューズを手に歩き出し、ベンチに腰掛けている二人に手を振った。先輩はカメラを構えて、肩までの髪を海風になびかせている私のシルエットをフレームに収めてくれた。 切り取ら

読んでくれているあなたへ。

文章を書こうとしています。 noteの下書きに、書きかけのテキストが8つ程、溜まってきました。ひとつひとつの文章は、まだとても短いです。 雑事をしている時や、外を歩いている時、或いは待ち時間の合間に、言葉がふと思い浮かびます。頭の中に並んでいく言葉たちは、文章になってはいるものの、陽炎のように朧げで、現れたはしから輪郭が溶けていきます。消えないうちに文字にしようと、スマートフォンのキーボードを開いて指を滑らせると、扉がパタリ、と閉じて堰き止められたみたいに、言葉が浮かばな

子供にも、有給休暇を三日分。

始業式を来週に控えた土曜日の朝、娘がタブレットを触りながら少し不安げに言った。 「まだ夏休みが、あと何連休あるって言えるくらい残ってるけど、もうすぐ学校だなぁ」 ため息交じりの言葉の理由は、夏休みの宿題が終わらない焦りではなかった。宿題は数日で片付く目処が立っていて、始業式には多分間に合う。長かった休みが終わってしまう名残惜しさでもなくて、学校が始まることへの淡い憂いだった。私は言葉を選びつつ返した。 「あぁ。楽しく話せる友達がいても、それは学校が楽しいかしんどいかとは

朝、ときどき、膝枕。

幼い頃の娘は、「おかあさんの好きなところはおしりとふともも」と言い放ち、「おかあさんに愛を渡すことを誓います」と宣言する子供だった。その愛の表し方は様々で、台所に立つ私の背中に抱きついたり、座っている私の腰の辺りに巻きついたり、指を甘咬みされたり、鼻を甘咬みされたりした。 甘咬みされながら、 「これはどういう状態なの?」 と尋ねると、 「おかあさん成分を摂取してるの」 「吸いすぎると今度はおかあさんの元気がなくなるから注意」 と説明してくれた。どうやら指先からなん

歌う友人。

友人から、時々、LINEが送られてくる。 先日も、風呂上がりにソファーでボンヤリしていたら、スマートフォンの液晶画面に通知がヒョコッと現れた。いくつかのメッセージが立て続けに送信されてきたあと、締めくくりに、 「また歌を送るから」 と、添えられた。 トークを遡ると、縦長の吹き出しに囲まれた長い文字列が続く。中身の殆どは、友人が作った替え歌の歌詞だった。 普段、LINEのやり取りをするのは会う約束をする時くらいなのだけれど、最近、歌を送ってくるようになった。曲の元ネタ

抽象的な話。

探し物をしている。 筆箱の中のペンだとか、炊飯器の横に置いたはずのスマートフォンだとか、明確に対象物があるのではなくて、何を無くしたのか、を探している。 消しゴムみたいに摩耗して無くなってゼロになったのか、カメレオンが葉っぱと同じ色に体の色を変えて身を隠すみたいに見えなくなったのか、そこのところの判断もつかないまま、随分と長い間、探している。 以前と、何が変わったのか。そうして、何が変わっていないのか。自分の現在と過去とを引き算をするように比較して、残るものが、あるのか