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自治会・PTA・職場の忘年会・・・

はじめに

「対話が足りない」とずっと思っていました。子どもの時も、結婚して自治会やPTA活動をしていても、職場の忘年会も・・・。とにかく「ひとになにかをやらされる」ことが嫌いでした。「自分はやりたくないと思っているのに、世の中ってそういうものだ」と諦めて嫌々でも参加する人たちを見るのも嫌いでした。「自由」であっていいはずだ!!と思っても、「それはひとりよがりだ」とタシナメラレル。子ども時代を抑圧されて育った私は、大人達が愚痴や陰口をいいながら社会活動に参加している姿を子ども達にみせている社会からは、「この国に生まれてしあわせです!!」というヤル気いっぱいの子どもは育たないと思っています・・・



これは地域に必要や!

島根県雲南市で「コミュニティナース」をはじめた矢田明子さんという方がいらっしゃいます。この方の活動を知ってからずっと憧れの存在でした。地域の中に溶け込んだコミュニティナース(医療者とは限らない、あり方の名称)の活動がどんどん拡がっていくたびに羨ましく眺めていました。一方で現実の自分自身は自治会やPTAで感じる違和感を伝えては見るけれど一向に前に進まない(ひとりひとりのニーズが満たされていないと感じる)現状に悶々とした結果そ、こから逃げるか諦めるを繰り返しています。

『人とつながり、まちを元気にする』コミュニティナースは、職業や資格ではなく実践のあり方であり、「コミュニティナーシング」という看護の実践からヒントを得たコンセプトです。地域の人の暮らしの身近な存在として『毎日の嬉しいや楽しい』を一緒につくり、『心と身体の健康と安心』を実現します。その人ならではの専門性を活かしながら、地域の人や異なる専門性を持った人とともに中長期な視点で自由で多様なケアを実践します。実践の中身や方法は、それぞれの形があり、100人100通りの多様な形で社会にひろがり始めています。

https://community-nurse.jp/cn

わたしたちは、コミュニティナースという社会実験を通じて、地域の声・みんなのアイデアが形になり、健康で幸せな人があふれていくそんな未来を信じています。
・ヒトとコトをつなぎ、まちを元気にする

暮らしの身近な存在として『毎日の嬉しいや楽しい』を地域の人とともにつくり、役割や立場を越えたつながりを育みます。
地域の人の力を引き出し、まちの可能性をひろげる自由で多様なケアを通じて地域の人の可能性や、やりたいことを引き出し、コミュニティナーシングの担い手として、まちの可能性をひろげます。
地域に必要な機能をつくる
実践を進める中で多様な専門性を持つ仲間と、暮らしの身近な場所に足りていない機能や必要な機能をつくります。

https://community-nurse.jp/cn

昨日参加したイベントで、奈良県では自治体がコミュニティナースを導入していることを知りました。既存制度の地域包括ケアなどではカバーしきれていない人たち(医療保険にも介護保険にもかかっていないひとたち)にも届くサービス提供だと思った一人の自治体職員、福野博昭さんの想いが形になっているそうです。

特に、奈良県川上村は「一般社団法人かわかみらいふ」という名称で、移動販売などで地域経済を循環を目指す会社をはじめていたので、移動販売車にコミュニティナースが乗って村を回っているそうです。現在は歯科衛生士やリハビリスタッフもいて、1,000人くらいの村に25人のコミュニティナースが働いているということでした。

長崎県の離島や人口が減少してしまった地域の方々はどうやって生活しているのか調べてはいませんが、自治体が「コミュニティナース(おせっかい)」を導入してくださると安心して暮らしていけそうだなぁと思えるイベントでした。

やっぱり・・声を聴くことが必要だなぁ

「遠くの親戚より近くの他人」ということわざがあるけれど、現代社会は近くの他人にも頼りにくい人が増えているのではないかと思います。困ってから誰かを探すとなると難しいので、せめて隣近所の方々とは交流をはかっておくと、いざという時に頼れることにつながるでしょう。そのきっかけが自治会だったり、コミュニティナースだったりなんでもいいのですが、普段から「困ったこと」をだれかに伝える練習をしていないと、メンドクサクなるのではないでしょうか。

楽しいこと、嬉しかったことは話せても、困ったことは簡単には話せません。他者にどう思われるかわからないし、迷惑をかけてしまうのではないかというブロックが先に働きます。

厚生労働省のサイトによると、ひきこもり状態になったきっかけは、不登校・職場になじめなかった・就職活動が上手くいかなかった・人間関係が上手くいかなかった・病気・受験に失敗した・大学になじめなかった・・・などだそうです。私には3人の子どもがいます。3人のうち2人が同時に不登校になり、話を聴くどころか怒鳴り散らしていた自分の過去があって、反省しているからこそいまの活動につながっています。

ひとりひとりの「大切にしたいこと」を丁寧に聴くには練習が必要な人もいると思うのです。実際にわたしはまったく「聴く」ことができませんでした。代わりに「自分でなんとかしなさい!あなたの人生なんだからね!!」と怒鳴っていたんですよ。ホントに困った親でした。

いまでも無理なときがあります。こんなに「声を聴く」練習を繰り返しているというのに・・・。たぶん一生かけて取り組む課題なんだと思ってます。

24時間、コンビニ感覚で話せるオンライン対話の場がほしい

そこには、一緒に「対話を学び続ける」人がいて、ともに学ぶことができる環境であることが大前提。支援するとかされるとか、悩みを聴いてもらうとかどちらかが一方的にお喋りするのではなくて、話をしているうちに「自分が自分になっていく」ことが私にはとっても重要なんです。

2018年から「何とかしたい病」にかかって、いろんなコミュニティに所属して学び続けてきたからこそ「一緒にまなぶ」ことの心地よさと、対話をかけあわせているオープンダイアローグのような対話実践を拡げていきたいなぁ。自分が自分を責めているとき、誰かと話し、聴いてもらうだけでちょっと楽になる体験を拡げて行ったら、隣近所のひとにも「こまりごと」を力まずに話せるようになるかもしれない・・・

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