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「釜石の奇跡」と「大川小の悲劇」

明日は東日本大震災からちょうど10年となる日です。
私は九州長崎に住んでいるので、この震災を直接的には体験していません。当時東京の大学に通っていた子どもが「その日」を東京で体験していて、その後の余震でこわい想いをいているだろうなぁと感じていたくらいです。

2020年1月にEMSに出合い、10回ある講義のうちの1つに「大川小学校でおこったこと」について考える機会がありました。ニュースや新聞などの情報で知っていたけれど、その時までの9年間「その日」に想いを馳せる作業をしていなかった私にとってきっと生涯忘れられないほど心が揺さぶられました。大川小学校でその日に起こったことは人災だったと感じたからです。身の危険を感じた子ども達が裏山に走って駆け上がろうとしたことを大人が止めているのですね。

地震発生から津波がくるまでの50分間、そこでなにがあったのかを解明しようとしていた西條さんの本が完成しました。

仙台出身の西條剛央さんは、震災直後に「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、必要なものを必要な分必要な人に直接届ける支援の仕組みをつくって活動していたそうです。支援は家電プロジェクトや重機免許取得サポート、PC設置サポートなどへと発展していくなか、佐藤敏郎さんに出逢ったことがきっかけで、大川小学校で何がおこったのかについての研究がはじまりました。

大川小学校は校庭から走って1分ほどで登れる裏山があったし、津波が押し寄せるまで50分の時間があったにもかかわらず多くの犠牲者を出してしまっていて、「この事故がなぜおこったのかを解明しない限り再発防止はできない」と考えた西條さんが、その構造を科学的に明らかにしようと取り組まれていました。10年の月日をかけて完成した本は読みごたえ十分です。

この大川小学校と対比で取り上げられていたのは、「助かった」子ども達が多い釜石小学校だったそうです。当時、インタビューを受けていた女の子が「釜石の奇跡は奇跡じゃない。という記事を投稿しています。

本日その記事を読み、この震災でどれだけ多くの方の心に深い傷を与えてしまっていたのだということがわかり、ずっしりとしたものを受け取りました。


たくさんの声が聴こえてきたので、みなさんにもご紹介したくなりました。声をだしてくださったことに感謝しています。

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