【中学受験】小学校受験に失敗した話
我が家の小学校受験のあらまし
気軽な気持ちで札入れしてしまった
そういや受験したよねー、、、という記憶の彼方なのですが、せっかくなので振り返ってみます。
教育には出来る限りの投資するぞと子どもが生まれたときから決めておりました。赤ちゃんの時から絵本を山盛り読み聞かせして、気合十分アップを始めたわけですよ。いや全てが受験に向かってたわけではないけれど。それでも節目の受験ってのは気になるもので、小学校受験も気軽に国立小学校の抽選に札入れだけしたんですよ。
国立小学校の受験とは
国立小学校の受験は100人くらいの募集に3〜4000人が一次抽選に申し込んで半分くらいの通過率。準備をしていても試験すら受けられないし、試験受けられて合格しても更に最後に抽選で落とされるという世界。国立大学の教育学部の「教育実験校の場」であるわけなので、無作為でのエッセンスを入れる必要があるらしい。
結果
都内国立三校に出願→二校一次抽選通過→二校とも一次面接不合格
中学受験と小学校受験
と、まあ見事に撃沈したのですが当たり前といえば当たり前。何の準備もしていませんでした。抽選が当たってから大慌てで過去問買って、紺色の服をかってにわかに準備したものの付け焼き刃過ぎて何の対策にもならないです。しっかり準備してこられたご家庭には鼻で笑われちゃうよね。
親子面接で出されたお題
しかし、受験しておもったけど我が家は小学校受験には合わなかった。まず選抜方法が不透明。親子面接では「ではここでお母様とお嬢様で電車ごっこをしてください」と言われ固まる我ら。娘はちょっとおませさんで年齢よりちょっと大人びた遊びが好きだったので年長時点で電車ごっこはキツイ。瞬時に「は?なにそれ赤ちゃんの遊びなんだけど?」みたいな顔してる。
「ここは一つよろしく頼むよ」という私の眼力で訴えて、しゃーないなという感じで娘も「こういうことを求められているのかな?」という感じで演じる。そんな斜に構えた親子なんかいらないよね。途中で、「やっぱりうちは合わないです。もうここで終わりにしていいですか?」と何度も言いそうになりました。
この「電車ごっこ」から判断することはなんなのでしょう?普段から親子で楽しく素朴で創造性が高い遊びをしているとかなのかなあ。もしかすると「ちょっと子供っぽい遊びをやれと言っても素直に受け止め、かつ期待通りの可愛らしい子どもをさっと演じきれる」なのかも。いやそれはないな。
選抜方法の不透明さ、ともう一つ努力だけでは達成できないこと。努力が報われないことは人生山のようにある、けど抽選ってのはどうも納得いかんのですよ。
というわけでよくわからないまま突っ込んで撃沈したわけです。娘自身にも「不合格」になったというなにか否定された思いだけが残ってしまい、中途半端なことをしてかわいそうだったなと反省しました。
中学受験は選抜方法がシンプル
対して中学受験は筆記試験での判断。面接を課す学校と、面接が重視される学校もごく一部あるけれど、ほとんどの中学は筆記試験の点数だけで判断される。高校受験も「内申点」という不透明度が高い基準が設けられているし。小・中・高校受験のなかで一番シンプルに学力で判断してもらえるのは中学だなということで、我が家は中学受験にシフトしたわけです。
とはいえ小学校受験で得られるあれこれもあるよね
私学であれば校風や理念に共感した人たちとのコミュニティを形成できることや、受験を気にせず好きなことに打ち込めたりしますよね。たとえその学校に中学から入れたとしても小学校でのコミュニティは独特で得難いものではないかなあと推察します。
まとめ
小学校受験のメリットデメリットを理解して臨む
家庭と我が子に合っているか
中学受験も考慮して考える
まとめるとこんなところでしょうか。我が家にとっては小学校受験の失敗により中学受験はしっかり理解して準備して臨むぞという気持ちになったので無駄ではなかったかな。お話を聞いて質問に答えるといった対策は人の話を聞くトレーニングになったかなとか入試対策も結構よかったかも。いずれにしても家庭と本人に合うかどうかは重要なことだと思いました。
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