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86.成長する、とは?

20歳くらいからよく考えるようになった命題です。「もっと成長しろ!」「御社に入って自身を成長させたいです」「ここで学ばせてもらうことで成長しようと思っています」「あの時の経験が自分を成長させた」など、成長という言葉が好きな人や良く使う人は多くおられると思います。

成長するとはいったいどういうことで、どうなったら成長したと言えるのでしょうか。私の考えは、「より多くの視点で物事を考えることができるようになり、それによって自分の思うように事を運ぶことができるようになること」が成長することだと思っています。

より多くの視点とは?

実はこのことに気づくきっかけになったのが、です。私は小学生の頃、よく道を歩いている蟻を目で追っていました。当時は道を歩けばたくさんの蟻が道にいたのですが、20歳くらいの時にふと「最近蟻見なくなったなあ」と思い視点を下げてみると、昔と変わらずたくさんの蟻がいたのです。要は自分の視点が物理的に上がったことで蟻が見えなくなった、けど代わりに視野が広がりたくさんの景色や出来事に目を向けることができるようになっていた、と気づいた瞬間でした。

蟻の話は私が気づくきっかけになっただけで説明としてはわかりにくかったと思いますが、成長することとは視野が広がることだということに気づいたということです。実際仕事にしろ趣味にしろ、同じ事象に対する1年目の時の判断、2年目の時の判断、3年目の時の判断はそれぞれ異なるはずです。なぜなら見えている視野や経験が少ないからこそできる判断もあれば、逆も然りだからです。例えばそれだけリスクヘッジができるような視野を持っていたり、多彩な組み合わせ方法を知っていたりなど、これらは自分の視野が上がることで自分の選択肢を増やしてくれること、これが成長することの1つ目だと思います。

自分の思うように事を運ぶとは?

では後半の自分の思うように事を運ぶとはどういうことでしょうか。私は”視野が広がっただけ”、”知識が手に入っただけ”では”成長”を語るうえでは不十分だと思っています。それぞれ自分がやりたいことや為したいことに生きるようになって初めて”成長した”と言えると思います。

何も大それたことを言っているわけではなくて、例えばどれだけ練習問題や教科書の内容が頭に入ったと言っても、本人がテストでいい点を取るという願望を結果として叶えられなければ意味はありません。また、視野が広がったことでクオリティを下げずに上手くサボる方法を確立して、サボりたいと思える時にサボれるようになったのであればそれは成長でしょう。

成長のタイミング

ちなみに先ほど、テストの為に勉強したがそのテストでいい点を取れなければその過程の意味はないという趣旨の話をしました。ここだけを切り取ったら成果至上主義の冷たい人間のようですが、その過程があったおかげで目的とは別のことであっても何かしら成果が起きれば私はその過程に大きな意味があったと考えます。例えばテスト勉強を頑張ったがそのテストではいい点を取れなかったとすれば、その過程は失敗だと思います。しかし、その過程で得た知見が全く別の場所で役に立てば、その時に初めて過程であるその勉強に意味が出ると考えています。どれだけ賢くなっても発揮できなければ意味がなく、自分の思うような成果につながって初めて”成長”と言えると思います。

今日の話も何かのお役に立てば幸いです。

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