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鏡餅からの気づき

お正月、松の内が開けると「鏡開き」です。

ここ数年お正月の鏡餅は、
扱いやすいという事もあり、鏡餅風に中に丸餅の入った
セットになったものをお供えてしていました。
今年は、年末にマーマーな農家さんから丸餅を購入することにしたのもあり、
久しぶりにお餅でできた「鏡餅」をお供えする事にしました。

届いたお店からは、丁寧なカビ対策の説明書きも付けて下さっていました。
それに習い3日おきにリカーでお餅を拭いていたのですが、
5日目になって、やはりカビが生えてしまいました…

鏡餅は、
台所の洗い物をするとすぐ目に入るところに置いていました。

その日から鏡餅が目に入るたびに、
“カビが増えないように拭いてあげないと!”と
だんだん、カビ対策のプレッシャーを感じるようになっていました。

ここからは、
その鏡餅からの気づきを綴ります。



前回も書かせていただいたこじょうさんなども、
よく「違和感」について書いたり話されたりしていますが、
わたし自身、違和感に敏感になれているかは
まだ甘いところがあるなと思っています。

ただ、
このお正月に感じた鏡餅からのプレッシャーに、
“あれ?そんなにプレッシャーなんだったら、
今すぐ切って食べれるようにしてしまってもいいんじゃない?
後数日で鏡開きだから…と、
何も自らプレッシャーを感じる日々を過ごさなくていいんじゃないか?!”
と思ったのです。

いつもは置いていない場所に「鏡餅」があることから、
洗い物をするたびに「違和感」を感じていたのです…

これが、いつも部屋にある同じ光景、
たとえば机に物を出しっぱなしにしているなどだと、
見慣れた光景に“片付けないとな~”という思いだけで完了してしまい、
そこを片付けないままにしている事からの
プレッシャーや違和感までは、敏感に感じきれなかったと思います。

自分の中の違和感に敏感になるとは、
こういう事だったのか!と納得した日に、

いつも拝見している、マドモアゼル・愛先生のYouTube
「段々とつじつまが合わなくなっていく」を見ました。

その中で愛先生がこう言われていました。



「人は、教えられたことでは
本当に理解することはできない

自ら気づかない限り
意識も方向性も価値観も決まらないもの」

マドモアゼル・愛 YouTube
「段々とつじつまが合わなくなっていく」
https://youtu.be/6Hsl39eFTzE



まさに!


そんな、2023年の鏡開きでした。


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