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地元に帰ってくると不思議と空を見ることが増えている気がする。
高村光太郎の詩 あどけない話の

「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。」

という一説がなんとなく頭に浮かぶ。 東京に空がないなんて思ったことはないのに。東京の家のベランダから見える空は飛行機を追っても向かいのマンションに遮られてしまう。何にも邪魔されない真上の空を覗くにはベランダの手すりから身を乗り出したらいいのだけど、手すりをきちんと拭いておかないとお気に入りの白いフーディーには薄いすすのような埃がついて汚れてしまう。

SNSを見ているといらない情報がいやでも目に入る。一度知ってしまったものは知らなかったことにはできないし、一度ついたシミは丁寧に落とさないと消えてはくれない。なんでも知っていることが良いわけではない。わかってはいてものぞいてしまうのはなんでだろう。

パソコンにだけ張り付いて仕事をして、同じ家でご飯を食べて本を読んで眠る。外に出ることがどんどん特別になっていく。こんな形でも私はいつも世界と繋がっている。不思議で仕方がない。URLにクリック一つで友達と会話もできる。

久しぶりに外に出てバラを見に行った。棘はそっと触ってみれば痛くない。完璧でないそのバラの葉っぱはいくつも虫食いの跡がある。虫食い跡にそっと触れるとその周りだけ乾燥してガサガサとしている。インスタにはきっと飾られないその跡がとても大切に思えて、スマートフォンを取り出して写真を撮ろうとして思いとどまる。次来た時、もっと食べられているのを期待して帰った。



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