理由

今、私の見る窓には隣の家の屋根と青空が広がっている。
その手前にはキク科のピンク色した花がもう2週間以上も元気に咲いている。

たくさんの人間や関わりを絶って、引きこもりたい日々と私。

部屋のストーブと雀の鳴き声。
道路を車が通る音。
昔、ある学者さんが、鳥の声と車が走る音では、車の音の方が大きいんだと言っていた。
やっぱりその事実を疑いたいほど、簡単に鳥の声はかき消されてしまう。

心に残しておきたいことほど、見えなくなりやすいだから、
感じた小さなこと、自分の心が動いたこと、忘れたくないことは
書き残しておきたい気がしている。

写真よりも、目に映った風景を自分がどう感じたのか、言葉で残したい。
だって、いつどこで何歳の自分がその風景を見るかで、感じることなんてコロコロ変わってしまうから。

(絵と言葉両方で表現する友人は、とんでもなく素晴らしいと思った。)

今を言葉で残すことは、振り返って驚くことがあるくらい、割と忠実に今を語れる気がするから。

それを、誰かに伝えなくては。と思うと、無意識に言葉に飾りがついてしまう。
心が本当の自分を奥へ押し込めてしまう。

作った歌を、聴きたいと言ってもらえることは嬉しいことだし
作った歌を聴かせられない自分は悔しい。

いつまでも誰かの作品の上に乗っかっているような自分が情けない。
自分が本当に歌いたい音楽なんて、あるわけないと気がついたのはもう10年も前のことで。
こんなに時間が経っていて。

無理やり、歌いたくない歌を歌うのは、楽しいことではない。
そんな気持ちもずっとあるのに。

「この人口だけじゃん」って思われているような気もする。
それが気になっって、どうにか人に聴かせられる作品を作らなくちゃと焦って。
作っている最中に、こんなものはいいって思われるはずがないと、自分を否定してしまう。

ある大好きな作家が言っていた。
「ものづくりで一番しんどいのが、一番初めの一歩を踏み出すことのような気がしていて、最初の一歩を始めてしまって後ろを見ずに駆け抜けてしまう。そんな勢いがないとそもそも多分作品は完成しないし、完成しなかった名作よりも傷があるけど完成した作品の方がやっぱり遥かに価値が大きいと思うし、そのことを重ねていって少しでも作品から傷を少なくしていく、その方法を見つけていくしかないと思う。その時に、無理やりにでも信じないと手が止まっちゃう。何を信じるかというと、『この世の中には。まだ語られていない物語があるはずだ』と。それは小さな可能性なのかも知れないけど、でもそれを信じて一行ずつでも一枚ずつでも何かを書いて、それを作品に繋げることができて、その果てにもしかしたら本当にまだ誰も見たことがなくて、でもまさにこういうものが見たかったんだって見た瞬間に多くの人が思ってくれるようなものが作れるかもしれないですもんね。誰にでも。」

本当にその通りだと思うのと同時に、自分にとっての希望だった。
ここに書いたけど、誰にも教えたくないくらい大事な言葉。

この人に会いたい。
この人と対等に話がしたい。
この人の考えていることを知りたい。
もっともっとたくさん作品に触れたい。
この人のことを考えるだけで、顔が緩む。
好きで好きでたまらない。

そんな憧れを、不祥事のニュースに簡単に打ち砕かれてしまう。
憧れなんて嘘だったかのように。

この世界は残酷だ。

それでも好きだと思い続けられたらいいのにと思う気持ちと、
無理に好きになる必要ないと思う気持ち。

私の気持ちはいつも半分で、どっちつかずで、中途半端だ。
味方を変えればすごくバランスがいい人と言われる。
でも、もっと偏っていたかったと、そしたらもっと人の気持ちなんか考えなくて自分の作りたいものが作れて、楽だったんじゃないかと最近よく思う。

もちろん、この私が完全に全て悪いわけじゃないんだと、付け加えたくなるのも私だからこそ。


憧れたものが、ずっと自分にとってキラキラしてくれているなんてのは、絵本の中の話だ。
憧れるほど好きで、興味があるから、残酷も見える。

残酷が見えるから、だからこれこそが私の憧れなんだと思うこともできるし、そうなのかも。
恋愛と同じ。
簡単に諦められないからこそ、好きすぎるからこそ、裏切られた時の悲しみやショックが大きいんだと。

そんな時は芦田愛菜ちゃんの「裏切られたと感じることはその人の一部しか見てなかったということ」って言葉が胸に刺さる。
この言葉を教えてくれた人が、長らく私に嘘ついていた人だったということも、残酷だと思った。

人は簡単じゃない。
一言で語れないのが人間で、だから面白いし感動もある。
もどかしいけど、陰と陽、表と裏、喜びと悲しみ
反対があるから、その反対がある。

この法則は切っても切り離せないのに、傷ついてしまう心も人間だから。

どこまでいっても、私は言葉を使った作品を作り続ける人に憧れ続けると思う。

それは、どんなに酷く悲しい目に遭っても、手放せなくて、むしろ私の救いになっているものだから。

傷つけることと、誰かを救うことも、表裏一体なのか。

この世界の裏表を理解するにはまだ時間が必要。

だって、人間だから。



見ていた空が、白色に変わって、
それだけでまた、感じる気持ちがほんの少し違う。

そんな小さな変化を感じることが、私は好きで、いつかの私へ残しておきたい気持ち。

私が人から引きこもって、自分と話し合う時間が大切な理由。

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