無駄の反対は有意義ではない

カッコつけたタイトルになってしまいましたが、2020年のコロナ禍に、1就活生にならざるを得なくなった私が辿り着きかけている答えのようなものを、新たな自己紹介としてここに記しておきます。今みると結構価値観が変わっているのですが……

授業課題で書いたものなので字数がかなり少なく、共感しにくいところも多々あると思いますがそこは適当に想像で保管してくださいな。この記事が誰かの心の支えになりますように。


夢を全て持ったまま、無駄を生きていきたい。無駄の反対は有意義ではない。


小さい時から空を飛びたかったし、忍者になりたかった。目立ちたがりやで、欲張りでもあった。しかし、小5くらいから“正気”になり、部活で絞られて夢が少し現実味を帯びていく。大学2年では夢が「ミュージカルに出演も演出もしたい」となった。そして大3の今将来について考え、生きるためには就職だとか誰かに弟子入りしなきゃだとか、今の自分じゃ夢は叶えられないかもだとか、色々な思いが駆け巡って夢と乖離する人生を想像して恐怖した。


きっと「〇〇をやりたい自分に誇りをもたないといけない」と「〇〇に人生捧げられるくらい好きじゃないとそれをやって生きてはいけない」の狭間ですりつぶされていた。


そこで9月、無駄を作る人のtwitterや、本、キラキラしたものを見て無駄に過ごした。そこで、結局人は生まれた時点で存在が無駄に過ぎないのだからこの世に社会的意義など存在しないことに気づいた。だったら、私も今でも空を飛びたいと言おう、でも気が変わったら他のこともしたいと言ってもいいと思えた。無駄なのだから誰も咎めない。無駄に、自分のために欲張りに生きたい。

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