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創作意欲の原点

文章を書くためお題をくださいと依頼したら、”創作意欲の原点となる感情は、喜怒哀楽のどれにあたる?または概念の外側?”というものを頂いた。改めて考えたことないな…と向き合ってみることにする。

私が何かを書いたり描いたり作ったり、音を作ったりするのは前向きな嫉妬と自分への愛ゆえだと思う。つまり質問に対する答えはイエスでもありノーでもある。興味深い演劇の脚本、本、エッセイ、絵、オブジェクト、美しいコードの音楽等に触れた時。なぜ私がこれを生み出せなかったのか、と非常に悔しい心持になる。名誉や地位がほしい訳ではなく、ただ単純にすごいものを作り上げた人々に対する尊敬と前向きな嫉妬とが相まって、私もすぐに新しいものを生み出したくなるのだ。この前向きな嫉妬というのは読んで字の如くポジティブな感情であり、恋慕や憧憬に近いものなのかもしれない。この感情を原動力にして、何かを作り出す過程に着手する。

そう、過程。私は何かを作り上げる”過程”そのものを好む。もちろん出来上がったものを嫌うわけでは全くないが料理はその傾向が顕著で。料理は好きだ。色々な国、家庭の色々な味を自分の手で再現したりアレンジしたりするのはとても楽しい作業だ。でもそれが全てであり、それだけでしかない、私の中では。香りも楽しめて非常に楽しいのだが、作り終えたらあっという間に興味がなくなり食べる気も失せてしまう。勿体ないので捨てることはないが。でも創作は違う。多分これは、後に形として残せるかという点が関係しているのだと思う。

では、喜怒哀楽の感情はどうか。多分ほぼ全ての要素は兼ね備えていると思う。これもまた、前述の尊敬や前向きな嫉妬と関係してくるのだ。

喜、すなわち喜びはもちろんある。他人、人間の生み出したそのものに対する感動。自分の生み出した過去のものや言葉に対する思い出の喜び。私は自分のことが大好きなのと同じくらいに自分の作ったものが大好きです。

怒、怒り。これはかなり小さいかもしれない。自分ではなく他人が生み出したという事実に対して、自分に感じる憤りだろうか。怒りというよりは、悔しさに近い。

次は哀/哀しさ。これも怒りと同じように、小さい。前向きな嫉妬の中にも少しの悲しみがあるのだろう。私は誰かが生み出したそれを生み出せなかったのだ、という感情である。これを原動力に昇華できるからいいのだ。

最後に楽、楽しさ。これはかなりモチベーションに直結するだろう。楽しいから、創作する。何かを生み出す過程に興味があるから、思考をする。楽しくないのに着手することもあるが、過程の楽しさにあまり変わりはない。

人への前向きな嫉妬を昇華し、自分が何かを生み出す過程に興味を持ち、過去に生んだものを愛している。それらの感情が、私が創作をする原動力になるのである。

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