流し書き:言葉尻だけじゃ、わからないことはあるって話

中学生のころ、僕は無敵だった。勉強に限って。

別に常に学年一位を取るような成績じゃないけど、ちゃんと努力さえすればその通り成果が出ていた。何よりそれをアイデンティティーにしていた。

英語なんてテスト前には出題範囲の文章を丸暗記しておいて、当日にはただ引き出しから取り出すだけ。そんな簡単に考えていた。

そんな僕に考えを返させた出来事がある。

昔「ドリームキャッチャー」を主題にした文章が教科書に掲載されていた。
ドリームキャッチャーはアフリカだかどこかのおまじないで使う道具だ。

僕は事前に英文の単語を隈なく調べ、英訳しようとした、、、、、

解らない、何言ってるのかわからない。
単語の意味も分かる、文法も分かる。だけど理解ができない。
そもそもドリームキャッチャーってなんやねん。
名前ダサすぎやろ、もうちょっと考えて名づけせえや。
こんなことは初めてで大いに困惑した。
このままじゃいつもできていたことができない。何より「勉強できるキャラ」で厳しい中学校世界を生き抜いてきた僕が崩れてしまう、、、!!
そんな思いを以て本当に焦っていた。

解らなかったこと理由は明確だった。
「全く知らない価値観の話だったから」
おまじないとか、神頼みとかそういう事にイベント程度の興味しかない一般的日本人の僕には、祈りを捧げる気持ちなんて到底理解できなかった。

どうにか和訳を作り上げ、授業に向かったがどうしても納得感を以て理解できはしなかった。

世の中に意味はあふれていて、辞典と文法を引っ張ればその分自体は把握できる。それでも実感が持てなくては理解なんてできやしない。

さっき、久しぶりに往来でドリームキャッチャーを見た時に思い返したことだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?