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【質問箱】「大切にしている価値観」

質問箱にこんな質問をいただきました。

「人生において大切にしている価値観とかありますか?」

楽しく

力まず

気楽に

本気で

頑張る

「たりきほんがん」と覚えたらゴロがいいでしょうか。

あれは中学生の部活の時。身長が180cmもあったひやむぎは重宝され、ミドルブロッカーという目立ちまくりのポジションにいました。最近流行りで主人公がオレンジ色のユニフォームを着ているあのアニメでは「月島君」的なポジションでした。

180㎝もありながら筋骨隆々からは程遠い、例えるならばゴボウかアスパラガス、それかやせ細った手羽先とでも言いましょうか。とにかく筋力に劣って瞬発力に欠けたタイプでした。

速いボールに手が出ない。相手のアタッカーの動きに対応できない。人よりもワンテンポ反応が遅い。アウトボールにも果敢に手を出した挙句、指先にソフトな感触を残して後ろに弾く。

足を引っ張りに引っ張った結果、「ひやむぎに極力サーブレシーブをさせない作戦」なるものが開始された。サーブのホイッスルが鳴る瞬間、相手チームからはセッターが2人いるような格好になった。といえばかっこいいが、要するにレシーブの体系からハブられただけである。

それでもレシーブをする10回のうち6回は妙な場所に返球してしまうものだから、当然チームメイトからは怒られた。毎回そんなもんだから部活が嫌になった。バレーボールという競技は好きなのに。

月日は流れて大学生。部活は高校まで続けたが大学ではしなかった。だけど時たまレクレーションやイベントでコートに立つ機会はあり、その時は大いに楽しんだ。

ちょうど時を同じくしてアニメ『ハイキュー!!』が始まり、1期をリアルタイムで見た。ボールの回転、バウンド、バレー用のホイッスルなど完成度の高さに驚いた。これは流行るぞと。

そしてコートに立った時、とてものびのびとプレーすることができた。日向くん風に言えば「背中に翼が生えた」ように跳べた。滞空時間が長く、空中でジャンプが伸びるのを感じた。空中でボールを待つ感覚。これが現役の時にできたら幸せだっただろうか。あの悔し涙を味わうことはなかったのではないか。いつも何かに怯えて委縮し、体がリラックスしていないからいらんミスをして、また怒られてさらに委縮する。あの頃の自分にこのジャンプが備わったらもっと楽しくプレーできただろうか。

引退してからフォームがきれいになった。それはきっと、楽しめていたから。楽しんでいるとき、人は成長するんだと思う。きつい経験ももちろん必要だけど、そのなかで成長するには厳しさをも楽しむ必要がある。だとするとそれは、自分が好きなことだったり理想があったり、憧れがなければありえない。


ひやむぎは今後どうなっていくのか。予定では5月末の最終出勤後に有給消化でニート生活をし、次の7月ごろにバスの運転士になる。そして大型二種免許を取得し、数か月の研修期間を経て晴れて路線デビュー。

バスの運転士なんてストレスが多い職業の中でもかなり上位に君臨できると思う。小回りが利かない車両、立ち客もいる中での運転、時刻表通りには走れない交通状況、車内事故は人身事故扱いだからすぐにゴールド免許は失われるだろう。

それでもその仕事を続けていくには相当の憧れと意思と、そこにたどり着くプロセスすらも楽しむだけの熱量がないともたない。ひやむぎの憧れであり目標は、とある営業所のとある運転士さんだ。その人の運転はゆりかごのように心地よく、座っていればすぐに睡魔が訪れる。その人の運転を見ていたい、しかし抗いがたい眠気が襲ってくる。気が付けば目的地の2つ前のバス停。また寝てしまっていた。優しいアクセルワークとブレーキング、ハンドリング、アナウンス。そのすべてを調和させて乗客を包み込む運転士さんだった。

かの人に少しでも近づきたくて、同乗者の乗り心地を追求した。それでも諦めきれず今回の転職に踏み切ろうとしている。

話はだいぶ逸れたが、運転士になっても「たりきほんがん」なひやむぎでいることだろう。「人の命を預かりながら気楽に、とは如何なものか!」というお叱りをいただきそうだがよく考えてほしい。叱られて委縮して運転もぎこちなくなった運転士と、リラックスして隅々まで目が行き届く運転士のどちらのバスに乗りたいか。

リラックスして楽しんでいるときにこそ、その人の持ち味が出せる。人よりも少し得意なことがあるだけで自信につながる。人に頼り切る他力本願はいけない。だがこちらの「たりきほんがん」なら。

自分が何かに挑戦するとき、肩の力を抜いて取り掛かる。誰かが何かに挑戦するとき、「たりきほんがんでやってみな」と冗談交じりに声をかける。

楽しく

力まず

気楽に

本気で

頑張る

人生なんてイージーゲーム。結局軽いやつが勝つ。頭も体も柔らかく、風にが吹くように、水が形を変えるように、柔軟に立ち回れたら。きっと緊張で凝り固まった人よりもいい結果を出せると思う。

だから今日もひやむぎは阿呆なのだ。今日も明日も、これからずっと阿呆なのだ。その方が、きっと楽しい。




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