俺が就活生だったときの話

 就活活動(以下、「就活」という)の思い出を話そうか。
 就活をいつ始めたのか……大学3年の2月だか3月くらいだったかな。周りがソワソワし出したときに、俺も何となく業界地図みたいなの立ち読みしてたような。とりあえず、テレビ業界を受けようと決心して、説明会とか行くようになった。たしか、日本テレビの説明会行ったの思い出したぞ。説明会は就活してる気分になれて好きだった(はじめのうちは)。 テレビ業界に決めた理由は、ミーハーだからとしか言いようがない。学生時代にマスコミ研究会とか放送研究会とか入ってなかったし。ただ、俺の企画した番組で、視聴者の心を動かせたら面白そう、という気持ちはあったかな。
 ところが、受けたキー局はテレビ東京だけ。理由は、エントリーシートが書けなかったから。「学生時代頑張ったこと」、「自己アピール」という項目が絶対ある。俺を誰だと思ってんだよ。学生時代は基本的に往復4時間の通学とバイトだけ。しかも、バイトは極力入りたくないから週2~3でセーブしてた。バイトない日は、基本的にブックオフで立ち読みしたり、アニメみたりしてた。こんな人間が御社に自慢できることなんてねーんだよ。シコった回数なら間違いなく、17卒マスコミ志望者の中でトップクラスだった自信あるけど。ということで、エントリーシート作成に苦戦している間に、キー局でエントリーできるのがテレビ東京だけになってた。
 もちろんテレビ東京は一次落ち。じつは、この時点で俺は一流・二流は受からねえと確信した。まず、学生時代に何もやってないから、「ガクチカ(学生時代頑張ったこと)」、「自己PR」が書けねえし、面接でも話せない。そして、運良く面接に駒を進めても、コミュ症過ぎて「ハイッ」しか言えない。そう、俺はこの就活システムでは勝てないと理解した。そこから俺は就活の手を抜き始めた。ただ、バイト先にいた先輩が、就活で知り合った他大学の女の子とワンナイトしてたから、説明会とかセミナーは行き続けた。マスコミ志望者専用のセミナー(5万くらいかかるが、マスコミの就活では先輩社員の話を聞くことが重要だったので、親に懇願して払ってもらった)ではいい経験ができた。詳細は省くが、面接対策ブッチして電通本社で電通社員に怒られたり、立命館大学の関西弁ナオンをアパホテルまで案内したりね。
 マスコミ業界なんて狭き門で、俺みたいな人間は受からないとわかってたはずなのに、今さら他業界にシフトするのも面倒で、どこも受からず6月になっていた。しかし、ここで俺にチャンスが回ってくる。運良くインターネット広告会社のインターン(2日間)に参加できた。そこでは、インターン後に面接がある。しかも、俺たちのグループは2日目の発表で、なんと一位だった。俺は「受かる」と思った。その後の面接は確かに微妙だった。しかし、俺は一位のグループやぞ!と。
 俺たちのグループは、面接後に会社の近くで談笑していた。インターン参加者で飲み会があり、それまで時間つぶしをしていたら、同じグループの帰国子女♀の電話が鳴った。話を聞くと、最終面接の連絡があったらしい。これは、俺もそろそろ来るかなと思ったら、全然来ない。というか、帰国子女♀しか連絡来てない。人事さん……彼女は俺らのグループでクラッシャーだったんですけど……
 そっから飲み会は大荒れよ。話を聞いたら、別のグループでも何人か電話が来ていたことが発覚。おいおい俺は一位のグループやぞ。思わず、「何で俺とオマエが第一位と第二位に分けられてるか知ってるか?その間に絶対的な壁があるからだ」と叫びたくなった。後から人事の姉さんが来て、みんな拍手で出迎えてた。俺はガラの悪い喫煙組のグループ(もちろん最終の連絡来てない奴ら)にいたので、めちゃくそ悪口言ってた。ここでは書けない下品なことを人事♀に聞こえない声量で叫ぶという、いま考えると幼稚なことやってた。でも正直、就活で一番楽しかった思い出かもしれない。
 このインターン以降、俺はマスコミ以外も受けるようになった。しかし、デタラメに受けるだけ。途中からどうでもよくなり、俺は就活を辞めた。





あ、そだ。飲み会後に、俺と同じグループにいた帰国子女♀は、他グループのチャラそうな男と二人でどっか消えたの思い出した。

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