【エッセイ】開き直って、共有して

 開き直りが大事だー!

 

 僕は障害者になった。統合失調症だ。

 幸い、6年前に発症してから症状は出ていない。軽度な感じだ。

 だけど、障害者雇用で働いている、障害者年金も貰っている。

 週30時間勤務も板に付いてきた。社会は思ったよりも優しくて、なんとかして価値ある自分になろうと努力している人間には、手を差し伸べてくれるらしい。おかげで、勤務も1年目を終えようとしている。


 もともと、自分はおかしな人間だった。

 自分語りを最小限に留めるが、中学の時に人間を諦めた。根本的に、人を信じられなくなった感じだ。

 理由はこれとは言えないが、部活で過剰に期待され、家庭環境が悪化し、不登校になろうにもなれない学校の事情があって、とにかく疲れて、疲れて、努力から遠ざかっていったら、幼馴染が終ぞ離れていったからだ。

 だから、障がい者とはいっても、別に先天的な障害があるわけでもない。6年間、手帳を持って生活していたが、それ以前は大学を中退し、派遣を転々とした後、引きこもっていた。人が怖かったのもあるが、それならば別の道を探ればいいだけの話で、やはり努力をしなかった自分の甘さが、作業所に通っている頃にも影響したのだと思う。


 この6年間のうち、特に辛かったのが、A型作業所で働き始めた2年前の9月だった。

 最初は週20時間働くことですら辛かったから、土曜日出勤も本来あったところを休ませてもらっていた。

 そのうち、土曜日も出るようになったが、どうしても疲れてしまう、精神的に休みたくなるので、何かしら理由をつけて次の週に休んでバランスを取っていた。(所長や職員の人には申し訳ない、それでも普通に関わってくれたからいい人たちだった)

 でも、なんでそんな状況でも、1年間勤務ができたかというと、自分がやりたいと思えることー詩に出会えたからだった。

 詩は良かった。自由に書けるし、難しい言葉を使わなくても良いものを書けるし、ジャンルも問わないし。

 何より、社会に馴染めない人が一定数いたかと思えば、普通に会社員をしていたり、学生だったりもいる。そんな幅広い身分の人が、こと創作に当たっては、ただ楽しそうに、誠実に生きている、そんなTwitterでの会話を見て、自分には実力は無かったが、そこが自分の居場所だと勘づいたを覚えている。

 そんなこんなで作業所から職業訓練、そして現在の職場に至ったのだが、これも創作のおかげだと思っている。


 経験の浅い自分がいうのもなんだが、創作で大事なことの一つに、開き直り、がある。

 人に対して自分を解放するわけだから、そこにどんな私心を挟んではいけない。ただただ、面白さだけを目指すものだと思ってはいる。

 恥ずかしさ、見栄、あるいは恨み辛みをそこに挟むと、どうしても読むには応えないものが出てくる。そうなってしまう。

 そこでも折れずに、自己を捨てて、尚創作を志すところに、人に受け入れてもらえるような創作があるわけだ。


 「人に受け入れてもらう」とあるが、自分はまだまだ得るところが少ないのだが、創作というのは、「共有」だとも考えている。

 自分が面白いと思うものを、他者と共有すること。自分の感性をありのまま伝えて、それを世界に発信すること。

 ありのまま伝えるためには、そこに私心を挟んではいけない、曇るから。

 だから、一見語彙レベルが低くても、下剋上が起きるのが創作なんだと思っている。小学生も侮れない。


 もっと開き直って、よりたくさんの人と、自己を共有したいものである。

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