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【小説】メタボリック・シンドローム

メタボリック・シンドローム

作・画 ひやま すなお



 私は彼のお腹を見てギョッとした。


 4月の終わりの日曜日。ラジオでは、今年初めての夏日を観測したと流れていた。


 お互い30代も後半に差し掛かったこの年の春。彼の薄い白いシャツはぷくりと大きく盛り上がっていた。



 「お父さん、お腹すごいね」


 「わがままボディだろう」



 真面目な彼は自虐的に笑いながら言った。



 私たちは車を降りて、屋内型のレジャー施設に入ったところだった。




 今日は、月に一度の、彼と息子の面会日。



 息子が3歳になった頃から始まったこの恒例行事に、私は今日もいつものようにおまけでついてきている。



 今日はボールが遠くまで投げられるようになりたい!という息子のリクエストで、投球練習ができる施設にやってきた。



 近日行われるスポーツテストの成績を少しでも上げたいようだ。



 私も投球は大の苦手だ。えーと、最高記録、11メートル、だったか。


 それに引き換え、スポーツ万能の彼。


 高校ではエースピッチャー。スポーツテストは学校トップ!なんて自慢話を、よくしてたっけ。




 そう、今では臨月のような彼のお腹も、かつてはバキバキのシックスパック……だったはず。




 学生の頃は八つに割れてた、とか、食べても食べても体が大きくならなくて悩んだ、とか、随分と遠い昔の話になってしまったようだ。



 色白でスラリと背が高い彼のほっそりとしていた首も腕も、この頃は随分とふくよかになった。



 「外食ばかりでさ」


 「そっかー」

 

 私は思わず彼の視線から顔を逸らした。


 最後に、彼の顔をまともに見れたのはいつだろう。



 「ほら、ピッチングあったよ、行っておいで」



 私は目的の場所を見つけると、彼と息子を向かわせた。



 彼と息子の関係は、良好であるように見える。

 

 元より優しい彼である。息子に対しても、とても優しい。



 和やかな二人の様子を見て、あぁこのために頑張ったんだと、思う。



 ようやく落ち着いた、大切な生活、日常。



 あの頃は、何もかもめちゃくちゃで。


 それでも、明けない夜は無いからと、周囲に励まされなんとか踏ん張ってきた。




 息子と彼の後ろのベンチに座って、スマホの通知を見る。



 二人目の妊娠報告してくれた友人の、つわりが始まったというメッセージが届いていた。





 たっぷり遊んで外に出た。



 空はまだ明るかったけど、明日は学校もあるし、そろそろ夕食どきだ。



 帰り道、回転寿司のチェーン店に立ち寄るのが定番だ。



 席についた息子に「大将、いつもの!」と言ってみた。



 「ああ、あれね!」そう言って息子は嬉しそうに、慣れた手つきで「たこ焼き」と「レモンサワー」を注文してくれた。



 私は正面に座る可愛い息子の顔を見る。


 息子の横にいる座る彼の、少し疲れたような気配をなんとなく感じながら、思い出す。



 息子がお腹にいた時つわりがひどくて、食べられたのは「たこ焼き」だけだったな。


 彼は仕事の帰りにスーパーに寄って、たこ焼きを買ってきてくれたっけ。



 よく冷たいレモンサワーと、熱々のたこ焼きが目の前に届いた。




 彼は「酔っ払いは嫌い」とよく言っていたから。



 嫌いでいいよ、嫌いでいなよ。そう思う。



 私は何を言うでもなく、ケラケラと笑った。


 「お母さんもう酔っ払ってる」「ほんとだね」賑やかな店内の喧騒に、ぼんやり彼と息子の声がする。



 熱くて甘いたこ焼きと、冷たくて酸っぱいレモンサワーが胃と喉を刺激する。



 幸せだ。今、死んでもいい。



 そう思うと、また笑いが込み上げてくる。



 「お母さん、もうだめだ」息子の呆れたような笑い声に、また、あははと笑った。



 

 おかしくて仕方ない。今日はまた、深く、酔った。





2024年5月






あとがき


 最後までご覧いただきありがとうございました!

 こちらのお話は私小説、フィクションが含まれます。

 作中に出てきた「明けない夜はないよ」という言葉は、実際大切な方からいただいた言葉です。

 言葉は、伝えられる時に伝えなければなりません。

 過去、現在、支えてくださる家族、友人へ。心から愛と感謝を。

 いつもありがとう。


 私が支えられたように、ささやかでも、あなたの支えになれたなら。




 ではまた!




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